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福重郷土史同好会
2006年の活動報告(5)

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佐奈河内川源流部にある定め石(中央)
定め石(石に文字が彫ってある)
福重郷土史同好会・史跡見学
日時:2006年12月11日13時00分〜16時30分
場所:住民センター出発 →重井田町へ ・定め石 → ・太神宮 → ・天狗の足跡石 → ・(福重小学校)重井田分教場跡 → 住民センター到着
参加者:9名

1)定め石の見学
 定め石(右写真の石)とは、(八代将軍吉宗の頃の)1740年に約束が交わされ、1742年に約束文が石に彫られた水利権を定めたものである。(詳細は、『定め石』からご覧下さい)

<定め石の概要>
・この石は、大村市重井田町の佐奈河内川の源流部にある。川の水量は多くないが綺麗な水が常に流れている。
・定め石(上記写真中央)は土に埋まっている部分も相当あるが、表面の大きさは高さ約110cm、横幅約130cmである。

・自然石に文字が彫られている。
・近くに井手(用水路)の取り入れ口があった。

<定め石の主な内容>
・詳細は、『定め石』からご覧下さい。下記の「 」内はその一部分である。(彫られている実際の文字は縦書きの文章)
  
此溝野岳大堤雨請溝
元文五申年出来*

九月正月迄構*之事
寛保二年七月四日  (注:*は判別が難しい文字である)

 約束事の解釈:この溝(井手=用水路)は野岳大堤用の雨水用の受け溝であって雨で増水した時だけ野岳大堤用に取水できる。(雨以外の普通の日には流せない)ただし旧暦9月から正月までは(=田んぼに水が必要としない期間)取水してもかまわない)との約束と思われる。 この定め石の文字は、1740年に約束が交わされ、1742年に約束文が石に彫られたと思われる。

<参加者の若干の感想など>
・あのような上流にあるとは今まで知らなかった。
・300年も前に、あんなにきちんと彫られているとは驚いた。

大きな石の上にある太神宮
天狗の足跡石=通称:八枚敷(はちめじき)
2)太神宮などの見学
   重井田町の太神宮は公民館の横にある。大きな石の上に石祠があった。このような太神宮は、珍しいのではないか。(大村)郷村記には、次のように書かれてある。「 」内の通りである。

「 重井田 太神宮
神体鏡 宮代山道茂助 例祭九月十六日 宝円寺勧請 氏子中祭之

石祠  拝殿 弐間梁三間  萱宇  石鳥居 壱基  境内内弐拾間方程

当社建立年号不知寛政二庚戌年二月再建  

(この郷村記の口語訳や詳細な記述は、『重井田町の太神宮』のページをご覧下さい)

 あと、鳥居近くの大きな石の下に何か祀ってあった。詳細は見学当日不明であったが、どうも観音様のようである。

3)天狗の足跡石の見学
・この石は高さが約4m、横幅約6で佐奈河内川の上流部にある。
・地元の人が通称「八枚敷(はちめじき=大村弁)」と呼ぶのは「頂上部が真っ平でタタミ八畳分の広さがあるから」とのことだった。
・足跡模様が約35cm、約60cm、約90cmなど、いくつかあった。
・マスコミ(NHK、NBCテレビ及びNBCラジオ)も注目し、この石の上で取材があった。

(この詳細は、『重井田町の天狗伝説』の天狗の足跡石のページから、ご覧下さい。

4)重井田分教場跡の見学
 福重小学校百周年記念石碑(重井田分教場の跡)を見に行った。この石碑近くには元分教場の裏庭にあたり、当時の石垣跡が残っていた。

(福重郷土史同好会・活動報告は、以上)

掲載日:2006年12月28日
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