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福重郷土史同好会
2010年の活動報告(7)

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郡岳山頂(太郎岳大権現の礎石跡や本坊跡などの)調査報告(概要)

郡岳の南斜面(左上側に坊岩)
郡岳頂上(826m) の三角点
太郎岳大権現の礎石跡
坊岩(ぼうのいわ)

日時:2010年12月12日07時50分〜14時40分
主な場所:郡岳
(826m)頂上と中腹(南登山口コース)
参加:3名


主なコース:
福重出張所に集合 → 郡岳南登山口へ到着、登山開始 → 坊岩 → 坊岩見学 → 坊岩出発し西登山口コースで頂上へ → 郡岳頂上 <昼食> 礎石跡などの調査、郡岳頂上出発→ 南登山口コースで下山 → 平坦な場所の調査 → 南登山口に到着 → シュシュで休憩 → 出張所に到着・解散

登山の主な目的:
(A)郡岳(826m)登山と頂上の太郎岳大権現の礎石跡の調査と遺物などの表面採集。
(B)南登山口コースの(推測の)本坊跡候補地の調査。

この日の主な調査活動:
・山頂では、(大村)郷村記に書いてある太郎岳大権現の礎石跡(柱石跡)を上野から説明し、位置や向き関係など色々と見た。
・礎石跡周辺部や山頂周辺(東側など)に、何か遺物があればと思い調査もした。
・7合目付近の平坦な場所も広さの確認や表面の調査もした。

調査結果報告(概要)
1、郡岳頂上に残る礎石跡(柱石跡)について、(建設年代などの詳細は不明だが)「建物の礎石跡に間違いないだろう」との確認が得られた。

2、疑問点や不明点として、「頂上の道の中間部になぜ、礎石跡があるのか?」、「大村郷村記で言う“和同年間”(奈良時代初期)建設よりも、この礎石形式は新しいのではないか?」などが出された。

3、中腹部にあった本坊跡の候補地としての「あと頂上まで1.4km地点標識」のある平坦な場所も、かなり切り開いた可能性がある。炭焼き小屋跡が多数あるので、その炭焼きベース基地の可能性があるが、その前から何らかの形で平坦になっていたことも考えられる。ここも本坊跡候補地の一つとして考えてもいいのではないか。

上野の感想と補足:
(1)今回初めて大村市内在住の方(2名)を頂上の礎石跡に、ご案内し確認して頂いた意義は、大きかったと思う。

(2) 太郎岳大権現の開山(建設)年代について
 大村郷村記で言う<現代語訳=かつて、元明天皇の治世の和銅年間に管原寺の最高位の僧侶である行基が、筑紫(九州)地方巡回の時、郡岳の霊場に登って、弥陀(みだ)、釈迦(しゃか)、観音(かんのん)の三尊をまつって拝む所として、太郎岳大権現と称した。今は大村の池田の里にあって多羅大権現となっている。大昔より(太郎岳大権現の)あった跡でもあるので、今も頂上にまつるための礎石跡が残っている>との「和銅年間(奈良時代初期)」開山説とは、私も思っていない。

 この和銅年間の開山説は早過ぎると思う。しかし、開山年代説の真偽は別としても、大村郷村記に書いてある「太郎岳大権現の礎石跡」が、今でも山頂に現存していることは、太郎岳大権現があったことの歴然とした証明ではないだろうか。

(3)郡岳の中腹にあったと言う本坊跡は、山頂にある礎石跡みたいに決定的な遺物などが、現在まで発見されていないので「本坊跡の候補地その1、その2、その3」みたいにして挙げながら、今後も調査あるいは情報提供を呼び掛けていくようなことも必要かと思われる。

 登山に参加されたお二人、大変お疲れ様でした。

関係ホームページ:太郎岳大権現」 、 「郡岳」 、 「坊岩

次回の例会予定(2011年の予定)
・新年会:1月14日18時00分〜
・第36回例会:2月7日19時00分〜

(以上)


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