第44回例会報告
日時:2012年7月10日19時00分〜21時15分 、参加:4名 、場所:福重住民センター
報告など(前回2012年4月16日例会以降から主な事項のみ)
(1)4月12日、ケーブルテレビ、郡岳登山の収録(上野が案内、合計4名)
(2)4月23〜24日、ケーブルテレビ、戦争の記憶(増本さんの話し)を放送
(3)4月18〜19日、ケーブルテレビ、郡岳登山の番組放送(好評だった)
(4)5月4日、佐奈河内川の川床に福重飛行場の施設跡らしきものを撮影
(5)5月7日、ケーブルテレビ「萱瀬の馬頭観音」収録(上野が案内)
(6)5月9日、12日、東光寺跡の石塔5体ほど調査、拓本作業
(7)5月9日、18日、萱瀬の氷川神社にある峯弾正の碑を撮影、調査作業
(8)5月28日、29日、ケーブルテレビ「萱瀬の馬頭観音」を放送
(9)6月6日、桜中学校で大村空襲などの講演、増元さん(参加250名)
(10)6月10日、皆同の馬頭観音
(11)6月10日、今富の不動権現の調査と撮影
(12)6月19日、沖田町墓、長崎惣兵衛重方の墓を撮影(市の案内門柱あり)
(13)6月20日、21日、ケーブルテレビ、桜中学校で大村空襲の講演を放送
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東光寺跡
(大村市松原一丁目、旧・草場郷)
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<今後の行事予定の一部>
・7月11日、沖田町老人会の健康ウォーク(矢上、弥勒寺の道周辺の史跡巡り)
・大村市立史料館、企画展(毎年あり)
・8月9日、郡中学校で大村空襲の講演会(増元さんの話し)
議題
1)東光寺跡にある石塔などについて<別紙、資料(拓本など)参照>
・宝塔の文字は古い年号が入っている。ただし、『大村市の文化財』(本)紹介文の数文字は、実物の碑文と違っているようだ。
・ここには宝塔以外にも中世時代の年号の彫られた碑文の石塔類がある。
・また、「三伯」と大きな文字で彫られた石塔もある。
2)草薙部隊周辺などについて(別紙、地図参照)
・草薙部隊跡が現在の郡中学校である。
・部隊の一部の兵舎は郡中学校開校直後から、しばらく使用された。
・別紙史料にある1938(昭和13)年と1945(昭和20)年当時の地図対比でみるといかに海軍航空隊が大規模になっていったか良く分かる。
・宮小路の所には農作業用トンネルもあった。
・竹松周辺には色々な場所に薪用の林(山)もあった。
・福重飛行場の一番機飛行は1945(昭和20)年5月27日の海軍記念日だったと言う。
・福重国民学校(小学校)は大村市や長崎県の公式記録(=空襲による全壊)と、事実は違っていて一部損壊程度で済んだ。一部損壊だったので実際に疎開授業をしたのは1、2年生だけ約1か月間だった。その後、復旧を終えた校舎に戻っての授業をしている記録があるので間違いない。
・そして、校舎全壊で福重小学校は移転したのではなく、福重飛行場が出来たため矢上郷(現在の福重町)に移転したのが事実である。大村市の公式記録の方が間違っている。
3)臼島調査ついて
・安田汽船さんからのお話しをきっかけに臼島の史跡調査も検討中である。
・臼島頂上(約78m)北側に狼煙場、東側の弁天島に弁天様などがある。
・日時関係は後日、報告する。
4)今年度の史跡巡りについて
・どこか候補地があれば?
・臼島や大村湾を巡るのもいいのではないか。後日、事務局で検討して報告する。
次回の例会予定
・10月16日(火曜日)19時30分〜 、 場所:福重住民センター
(以上)
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