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福重郷土史同好会
2020年の活動報告(4) |
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2020年、鈴田小学校での地域学習<鬼の石、地主大明神などの講話>(概要報告)
日時:2020年5月25日11時00分〜12時30分 |
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下級生に教えることは良いことで、すばらしいこと 皆(みな)さんは、下級生(かきゅうせい)におしえるために、今回(こんかい)しらべているときいた。みなさんが、下級生に説明(せつめい)するときは、”先生(せんせい)だ。 人へ、おしえることは自分も勉強(べんきょう)しないと、おしえられないし、たいへん良いことで、自信(じしん)もつき、すばらしいことだとおもう。また、大人になったときにも役に立つだろう。ぜひ、がんばってほしい。
今日(きょう)は、鈴田の史跡(しせき)の話で、この言葉(ことば)が、たくさん出てくる。史跡(しせき)の国語辞典(こくごじてん)の解説(かいせつ)は、かえって難しい(むずかしい)ので、下記のことではないかとおもう。 1)史跡(しせき)とは、歴史(れきし)のあった、ある場所(ばしょ)のこと。 1,記録(きろく)に書いてあるところ。 2,言い伝えがあるところ。 など ここでクイズを出したい。 Q1:むかしから紙(かみ)いがいに何に書いて記録(きろく)してきたか? そのものは? A1:「木だ」 「石だ」 「金属だ」 (上野から「どれも正解(せいかい)だ。学校でも史跡のあるところでも、たくさん見ることができるので、さがして欲しい」 2)しせき(史跡)をしらべる時に、大事(だいじ)なこと (1)名前(なまえ)、 (2)年月日(ねんがっぴ)、 (3)場所(ばしょ)、 (4)目的(もくてき)、 (5)だれが作ったのか (6)大きさ、広さ など このようなことは、むずかしいことではない。たとえば自分におきかえてみて、(1)は自分の名前、(2)は自分の誕生日(たんじょうび)の年月日、(3)の場所は自分が現在住んでいる所、(4)の目的は、鈴田小学校で勉強し遊ぶことことなどと同じである。 ただし、全部(ぜんぶ)がぜんぶ、史跡(しせき)の記録(きろく)は、そろってあるわけではない。(上記のことが)分からないことが多い。また、「分からないことは、分からない」と答えるのも歴史(れきし)のばあいは正しい。分かったふりして、人へちがったことを教えるのは良くない。 あと、分からないことをしらべるのも、分かった時の楽しさ(たのしさ)があり、だから歴史(れきし)はおもしろい。このような項目(こうもく)は、下級生(かきゅうせい)から質問(しつもん)も、おおい内容(ないよう)かもしれない。 下記からは、上記の講話(こうわ)の主な内容と、児童から質問と、それに対する答えなどである。 |
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この鬼の石の場所(ばしょ)は、今回行った児童ばかりなので説明(せつめい)は、省略(しょうりゃく)する。<小川内町の墓(はか)から直線(ちょくせん)で西へ200メートルくらい行った畑の脇(わき)である> 石の大きさは、高さ約4m50m、横幅(よこはば)約4m80cm、外周(がいしゅう)約18m50cm.くらいある大きな石である。みなさんも、鬼の石に先生と行かれた時に、巻尺(まきじゃく)で測って(はかって)みてほしい。そうすれば、良く分かると思う。 この鬼の石については、史跡説明板(しせきせつめいばん)が、たてられている。それによれば、おもに次のとおりである。 鬼(おに)がフンドシ(したぎ)に石をのせて、鈴田の谷(たに)をわたっていたところ、ポロリとおとしてしまったので、「鬼の石」とよばれてきた。また、鬼が鈴田の谷をまたいだときの右の「足形(あしがた)」という地名(ちめい)が中里の山の中にあると」いう。 私も、この地名(ちめい)の所(ところ)を探しに5年くらい前に行ってみた。しかし、地元(じもと)の方のはなしによると、「足形(あしがた)はヤブなってしまって、いまではわからない。行かない方が良い」ときいた。 <質疑応答(しつぎおうとう)> Q1:鬼の石は、いつごろ(火山によって)できたのか? A1:正確(せいかく)には分からないが、何十万年前に、多良山系(たらさんけい)の火山(かざん)がつくった石だろう。 Q2:なぜ、鬼の石は撤去(てっきょ)できなかったのか? A2:農業(のうぎょう)する時、畑の中に石があることは、じゃまである。小さな石なら片付けて石垣(いしがき)にしたり、地面(じめん)にうめたと思われる。しかし、鬼の石は、あまりに大きすぎて、そのようなことができず撤去(てっきょ)できなかったものと思われる。 <鬼の石のくわしいことは、ここからごらんください> |
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2、地主大明神(ちゅうずだいみょうじん) 場所(ばしょ):陰平町、鈴田川近く クイズを出したい。 Q1:地主大明神は、何の神様(かみさま)か? A1:「土地の神様だ」 (上野から「正解(せいかい)だ。日本には、むかしから山には山の神様、川には水の神様、海には海の神様などがまつられてきた。この地主大明神は漢字(かんじ)のとおり、土地の神様とおもわれる) 地主大明神について、そのなまえのとおり、土地(とち)をまもる神様(かみさま)とおもう。水害(すいがい)などがなく、ゆたかにコメなどがとれますようにねがっているとおもわれる。そして、この地主大明神(ちゅうずだいみょうじん) は、古松など、いろいろと何回もひっこしして、今のところにある。 できたのは、江戸時代 (えどじだい)の初期(しょき)と言われている。石のほこらのまんなかに、「文政」(ぶんせい)九年」の文字(もじ)がある。西暦(せいれき) 1826年に、このほこらは、再建(さいけん)=あらたにたてられた。 ほこら(祠)の中に、大黒様(だいこくさま)と、えびすさまがある。だいこくさまは、右手に打ち出の小槌(うちでのこづち)をもって、左手には、袋(ふくろ)をもって、さらには米俵(こめだわら)の上にのっている。 えびすさまは、右手に釣り竿(つりざお)をもって、左手にはさかなのタイをもっているので見てほしい。
Q1:地主大明神近くの田んぼから何かが、でてきて大きく変わった。何が出てきたのか? A1:「鈴だ」 (上野から「正解(せいかい)だ。 鈴田の名前のきっかけ=田んぼから出てきた鈴のはなし ・地主大明神(ちゅうずだいみょうじん)近くの田んぼから鈴(すす)が出てきた。それを、きっかけに、それまでの今里村(いまぞとむら)から、鈴田村(すずたむら)にかわった。 ・鈴(すず)の意味(いみ)=清水(しみず)、わき水---豊か(ゆたか)な水のある水田(すいでん)---コメ(米)などがたくさんとれるところ。つまり、鈴は縁起(えんぎ)がよいので、村のなまえになったとおもう。 <質疑応答(しつぎおうとう)> Q1:なぜ、ここにたてられたのか? A1:正確(せいかく)には、わからないが、この地主大明神は何回も、いろいろな所にひっこしている。ここに立て直されたのは説明板(せつめいばん)によると、明治三十一年頃に水田(すいでん)の害虫被害(がいちゅうひがい)がはなはだしいことから、村民の総意で元の地(現在地:げんざいち)に戻されました」と書いてある。 Q2:「チュッ様」とは、どうしていうのか? A2:正確に地元(じもと)の人にきいて答えたいが、たぶん愛称(あいしょう)みたいなよばれた方とおもうが。 Q3:大黒様(だいこくさま)があることは米俵(こめだわら)もあるし分かるが、恵比須様(えびすさま)のもっているものは、魚(さかな)と釣り竿(つりざお)なので、なぜあるのだろうか? A3:ここに二人の神様がいるのは正確には分からない。これは新しいし、元はちがっていたのではないかと思われる。再建(さいけん)された時に、七福神(しちふくじん)の神様で、たいへん縁起(えんぎ)が良いので、この二人の神様が、おかれたのではないかと思われるが、しらべてみたい。 Q4:石彫(いしのほこら)のそばにある仏像(ぶつぞう)みたいなものは何か? A4:今のところ専門家(せんもか)でも分からないようだ。ただし、これは仏像(ぶつぞう)ではなく、なんらかの神様(かみさま)だろうということだった。これからも、しらべてみたい。 Q5:この2本ある柱(はしら)みたいなものは何か? なぜ、のこっているのか? A5:これは鳥居(とりい)の柱のかけら(一部分)だ。明治時代(めいじじだい)にこわされ、他のかけらは、たとえば石垣(いしがき)などに再利用(さいりよう、リサイクル)された例(れい)がある。この2本の柱は丸くて重いところなので、リサイクルしにくかったので、この2本だけが、ここにのこったのかもしれない。
A6:これも地元(じもと)の方に聞いてみないと分からないが、他の所では年に数回(すうかい)は、花、榊(さかき)、塩(しお)、酒(さけ)などがあげられている。ただし、その後、風などでとばされて、ないばあいもある。 Q7:二人の神様(かみさま)の向きは、どうしてか? A7:ここの地主大明神のばあい、ねがいごとをする人にたいして、やさしく向いておられるとおもう。 Q8:そうじは、年で何回くらいしているのか? A8:これも地元(じもと)の方に聞いてみないと分からないが、他の所からして、たぶん年数回と思う。 Q9:えびすさま、だいこくさまは、全国に何体くらいあるのか? A9:各家(かくいえ)にもあるし、全国では数えきれないくらいあると思う。 Q10:なぜ階段があり、高い所にあるのか? A10:神様(かみさま)も、仏様(ほとけさま)も大事(だいじ)で、みなさんの家(いえ)でも神棚(かみだな)や仏壇(ぶつだん)は高い所にあるとおもう。この地主大明神も地面(じめん)より高い所にあり、しかも石の祠(ほこら)の中に、まつってある。大事(だいじ)にしておられるからとおもう。 <地主大明神のくわしいことは、ここからごらんください> |
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講話や質疑応答の終わった後、児童代表からお礼の言葉と、全員の児童から大きな声で「ありがとうございました」との挨拶がありました。 |
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上野の感想 私が、担当した鈴田小学校での地域学習は、今年で5年目となりました。私は、毎年のように書いていますが、児童自ら、住んでいる地域の史跡を調べ、それをまとめ、さらに下級生に現地で教えることは素晴らしいことだと思っています。そして、6年生が下級生へ教えることは、自信にもつながることでしょう。あと、今年は、クイズを出した時、また質疑応答のときに、活発に手をあげるのも目立っていました。しかも、講話する側の素人郷土史愛好家にとって、今年は、なかなか答えにくいような質問もあり、私自身も今後、勉強していきたいと思いました。 私は、例年思うのですが、このような地域学習は、自分の郷土に誇りを持てるだけでなく、将来含めて何かに役立つ場合もあります。私のささやかな経験ながら、多くの方との話題になっただけでなく、仕事でも実際に役立ってもきました。また、鈴田小学校での「地域学習」は、校長先生はじめ先生方が、いつも異口同音に話されている「児童に郷土の美しい自然や豊かな歴史を学ぶことによって住んでいる地域に関心持ってもらいたい」が、具体的に実践されている一環だと、私は思っています。 次の史跡前での説明で、下級生に教える6年生の姿が目に浮かんできます。今年も、最上級生として立派に、”先生役”を果たされるでしょう。 最後に、今回の「地域学習」(郷土史講話)に出席された皆様、お疲れ様でした。 (以上) |