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大村の自然(山、川、滝、巨岩、石、洞窟、島、景観、その他)シリーズ  いたぶ石 

いたぶ石
 名称  いたぶ石
 場所  伊賀峰城跡の南端側から約20m南側へ下った所
 石の大きさ  高さ7m65cm 、横幅4m80cm
 緯度経度  32度51分15.55秒 130度00分21.59秒  (国土地理院地図検索サイト)
 グーグルアース  32°51'15.55"N,130°00'21.59"E
 (大村)郷村記  「伊賀峰城」の項目に記述あり(下記にも同様のことを現代語訳含めて書いている)
(写真1) いたぶ石(縦位置写真) 
(写真2) イタブの木の実
 (写真3) いたぶ石(横位置写真)
概要紹介 
 このいたぶ石ついて、上表通り、場所は大村市溝陸町(みぞろくまち)にある伊賀峰城跡の南端側から約20m南側へ下った所です。伊賀峰城跡には、(私が調べた時点で)その案内板も設置されています。少し急な傾斜の続く山道を下った所で見えてきます。なお、ご参考までに、(写真1)の撮影地点は、広角レンズで全景写真が撮れる岩の反対側で、少し離れた木の繁みからです。

 いたぶ石大きさは、高さ7m65cm、横幅4m80cmもある大きな一枚岩です。この岩壁の上からも、下側からも見学できます。下側から見ますと、江戸時代、大村藩が編纂した(大村)郷村記の内容「屏風を立てたるがごとき」の表現(=垂直の岩壁)より、やや傾斜のある形状といえます。

 (後で詳細に書きますが)このいたぶ石が、何故このような名称で呼ばれているかについてです。江戸時代、大村藩が編纂した(大村)郷村記には、その名前だけで詳細な記述はされていませんが、私の推測ながら、イタブの実(写真2を参照)に似ているからと思われます。

歴史事項について
 このいたぶ石のある場所は、先の項目にも書いていますが、現在でも歩きにくい(行きにくい)、少し急な傾斜の続く山道を下った所です。そのような所にある岩ながら、大昔から名前を付けて地元の方から呼ばれているくらいですから、それなりに知られていた大きな石だったのでしょう。

 しかし、ここからは私の推測ながら、この岩場の上部方向にある伊賀峰城とか、他の名所旧跡のように親しまれていたかというと、そうでもないような気がします。なぜなら、江戸時代に編纂された(大村)郷村記にも独立した項目での紹介方法ではなく、伊賀峰城の補足説明みたいにして触れられているからです。

・(大村)郷村記の内容
  いたぶ石ついては、先の(大村)郷村記、三浦村の古城之事の「伊賀峰の古城」項目に、少しだけ書いてあります。その項目で、いたぶ石と関係している部分のみの記述は、次の「 」内の太文字通りです。

 「伊賀峰の古城  (中略)  南の方いたぶ石と唱へ高サ貮丈六尺、横壹丈六尺余の屏風を立たるがことき平石あり (後略) 」

・現代語訳
 上記の(大村)郷村記項目を現代語訳しますと、次の<>内の青色の太文字通りです。 

 伊賀峰の古城  (中略)  南の方には、いたぶ石と唱(とな)えられ高さ7m87cm、横4m84cm余りの屏風(びょうぶ)を立てたような平石がある。

・江戸時代のいたぶ石の計測は、かなり正確
 ご参考までに、このページ最上部の表にある(上野が巻尺計測した)いたぶ石の大きさは、「高さ7m65cm 、横幅4m80cm」です。この巻尺計測と、先の(大村)郷村記の(現代語訳の)数値「高さ7m87cm、横幅4m84cm」とを対比してみると、かなり近い値です。前者後者の差は、測定地点の違いや誤差の範囲内と思えます。

 (大村)郷村記は、他の史跡や事柄について、例えば方角違い・大きさ違い・石仏の種類違いなど沢山の間違いがある場合もあり、引用・参照して書く場合、素人郷土史愛好家は、泣かされる時もあります。ただ、今回のいたぶ石については、当時かなり正確な計測がされたのではとの推測もしています。

いたぶ石の名前の由来と思われるイタブの木の実について
 まず、いたぶ石の写真(写真1と3を参照)と、イタブの木の実写真(写真2と4)を参照)を見比べて頂けないでしょうか。確かに「似ている」雰囲気はします。また、先にも紹介しました江戸時代の(大村)郷村記には、次の「」内が書いてあります。

 「 (前略) 南の方いたぶ石と唱へ高サ貮丈六尺、横壹丈六尺余の屏風を立たるがことき平石あり (後略) 」 (注:現代語訳で「南の方には、いたぶ石と唱(とな)えられ高さ7m87cm、横4m84cm余りの屏風(びょうぶ)を立てたような平石がある」)  この「」内には、いたぶ石の名称、大きさや状況を書いてあるだけです。つまり、この石を何故「いたぶ石」と呼ぶようになったかまでの詳細記述はないのです。

 (写真4) イタブの木の実(左右の縮尺比率が少し違う。合成写真)
 そのようなことから、上野が想像しますと、「たぶん、石の形が、イタブの木の実に似ているから」(実全体も、または切り開いた形でも同じ)と思っています。ここから、イタブの木について、書きます。大村市内(市外でも同様か)ならば、どこにでも生えている木の一つに、「イタブの木」があります。そのようなことから、身近な木であるイタブの木の実(写真2と4)が、その由来ではないかと思っています。

 ただし、”イタブ”の言葉を国語辞典で引きますと「精選版 日本国語大辞典」には、<「(1)いたびかずら(崖石榴)の異名」>とか、<「(2)いぬびわ(犬枇杷)」の異名>と解説されています。先の(1)・(2)の実も似てはいるのですが、大村市内に多く見られるイタブの木の実とは、なんか雰囲気が違うような気もします。

 もしかしたら、(2020年6月現在で)私の想像が間違いかもしれませんが、今後何かの新情報が入手できれば、本ページの改訂も含めて考えていますので、その点は、あらかじめご了承願います。


補足



  (この項目は準備中。しばらく、お待ちください)


(初回掲載日:2020年5月19日、第二次掲載日:5月26日、第三次掲載日:6月2日、第四次掲載日:6月21日、第五次掲載日: 月 日)
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