大村の史跡説明板・案内板シリーズ | 薬師如来と唐泉寺跡 |
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まず、(写真1)中央部に白板のように見えるのが、薬師如来と唐泉寺跡の史跡説明板です。その後方にあるのが、薬師如来の堂です。次に、(写真2)を参照願います。この写真の中央部やや上部が福重公民館で、その周囲が広い庭のある公民館敷地です。 薬師如来のある場所は、この公民館敷地の南南東端側にあります。(写真2)の中央部やや左側(西側)を上下に走る市道から、この福重公民館へ行く場合、南側からならば階段を登ります。<下記(写真3)中央部やや左側の階段参照> その階段途中の西側(左側)には、矢上の馬頭観音があります。北北東側からならば、車でも敷地内に入れます。 なお、補足ながら福重公民館の広い敷地では、(通常ならば)正月7日におこなわれる規模の大きい福重町の「鬼火焚き(おにびたき)」が有名でした。また、春には敷地周囲に町民の手で植樹された桜も、綺麗な場所です。 唐泉寺跡の場所について 次に、右側の<図A>=「郡地方の寺院群」をご覧願います。この図は、『おおむらの史記』(1982年9月30日、大村史談会青年部・発行)18ページに載っているものです。 図の中央部より、やや上側(北側)に祇園寺(左側=西側)とともに唐泉寺(右側=東側)が、図示されています。この場所は、現在の福重町公民館周辺です。ここは、大村市立福重小学校・東校舎の裏側(北東側)から、約110m離れた所です。 この周辺の畑(石垣)には、いくつか石塔類の欠片(かけら)があります。また、現在の薬師如来の境内にも、石塔類が置いてあります。その中には、円相のある墓碑のようなものもあります。しかし、どれも詳細な碑文ではないので、これら石塔類=唐泉寺にあったものとは、直ぐには言い難いものです。
次に、(写真4)の泉を、ご覧願います。この泉は、唐泉寺跡ではないかと言われている福重町公民館の隣(南側)にある薬師如来から、直ぐ南隣の民家敷地にあるものです。いつも、コンコンと清らかな水が湧き出しています。なぜ、この泉と唐泉寺跡と結びつくのか、それは大きな意味があります。
原文は縦書きですが、ホームページ上、横書きに直しています。 また、見やすくするために改行、行間なども一部変えています。 なお、この史跡の詳細説明は、「福重の名所旧跡と地形」の『唐泉寺跡』紹介ページから参照願います。
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