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立石様(西側の市道側から撮影。高さ130cm、横幅160cm)
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(東側=畑から撮影) |
立石様写真の紹介
まず、右側2枚の写真をご覧願います。左側写真は、西側(一段低い位置にある市道側)から撮りました。右側写真は、東側(ビニールハウスのある畑の中)から撮影したものです。
どちらかと言いますと、東側(畑側)からの写真が、縦(高さ)が横幅より大きく見え、西側(市道側)からだと、逆に横幅が大きく見えています。しかし、巻尺計測結果では、縦(高さ)は1m30cm、横幅1m60cm、周囲(胴囲)3m40cmです。ただし、右側写真は、撮影位置の斜め角度と、広角レンズの反映もあって、横幅全体かなり細く写っています。
あと、肉眼でも精密写真で見ても、碑文などは、この石に彫ってないようです。私は、大村市内で「古代の道の道標」と言われている「立石様」、「石立様」と呼ばれている石を合計で4個ほど見ましたが、いずれも碑文などはありませんでした。その意味で、この立石様にも碑文がないのは、当然のことかもしれません。
大村の古代の道と駅との関係
この項目は、先に「大村の古代の道と駅」ページに詳細に掲載しています。作成にあたっての参考書籍は、長崎県文化財調査報告書第一五四集 長崎街道―長崎県 歴史の道(長崎街道)調査事業報告書―(2000年3月発行)です。この本には、今回の立石様に関しては紹介されていませんが、草場町を通る道=古代の道については、分かりやすい地図入りで書いてあります。(詳細は大村の古代の道と駅ページの「3)新分駅のあった所は、草場町の馬込」項目を参照) また、それらを参考に、私が書いたのが下図です。 上図の中で赤い点線は、古代の道の想定路(現在の市道)です。この図でも、お分かりの通り、ほぼ直線の道です。そして、今回の立石様も、この道路周辺にあります。立石様は、現在地の方が、古代の道の真横にありますが、元々あった場所は東側へ10数メートルの所にありました。土地所有者の話によりますと、「立石様は(トラクター作業やビニールハウスが出来るように)基盤整備(圃場整備)した時に現在地に移設した。赤道(里道)脇にあった」とのことです。
また、古代の道にあった駅(常時、馬が5頭いた)は、上図の赤い四角と赤文字で書いています馬込水源周辺にあったと思われます。馬を飼うには、大量の水が必要ですが、それらの条件に、この馬込水源は一致していたと考えられます。この駅の場所は、当然、古代の道横にあったと思われますが、それは、馬込水源より数十メートル東側に行った見晴らしの良い道近くと思われます。
あと、草場町に残る古代の道と関係している地名(字=あざ)を若干の解釈含めて、次の<>内で紹介します。(これらの地名掲載の地図などは、大村の古代の道と駅ページの「3)新分駅のあった所は、草場町の馬込」項目を参照) <・高縄手(高くて真っ直ぐな道) ・京辻(都を望むような十字路) ・馬込(馬を泊めておく所) ・辰ノ口(東南東方向) ・立石(道標の石がある所)> などです。これだけ、古代の道と駅に関係するような地名が一つの町に集中しているのは、大村市内では珍しいとも言えます。
立石様の書籍類紹介
この項目、今回の立石様の記述のみでなく、広く「大村の古代の道」全般を書かれた書籍類を紹介します。他の書籍にもあるかもしれませんが、大村市立図書館で直ぐに閲覧できるのは、主に下記3冊です。
(1)長崎県文化財調査報告書第一五四集 長崎街道―長崎県 歴史の道(長崎街道)調査事業報告書―(2000年3月発行)
(2)大村の歴史(大村市教育委員会、2003年3月3月31日発行)
(3)新編・大村市史・・第一巻(大村市史編さん委員会、20年月月日発行)
(1)「長崎街道―長崎県 歴史の道」内容について
この報告書の中には、今回の立石様のことについては書いてありませんが、それ以外で旧・草場郷(町)だった所(町境付近も含む)にある通称「石立様その1」・「石立様その2」や、その字(あざ)の「立石」、さらには駅の「馬込」などについては、文章、写真や地図でも書いてあります。また、当然、草場町の字や古代の道なども記述されています。(これらの地名掲載の地図などは、大村の古代の道と駅ページの「3)新分駅のあった所は、草場町の馬込」項目を参照)
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中央の一段高い所にある立石様(西側の市道側から撮影) |
(2)「大村の歴史」内容について
この本の25〜26ページに地図と文章で、大村を通っていた「古代の道と駅」について概要が書いてあります。しかし、上記(1)に図示や記述されている「立石様」、通称「石立様その1」・「石立様その2」も、駅の「馬込」のことも関係している地名(字)も何も書いてありません。また、地図は元々概要のみを図示したと解釈したとの前提に考えても、率直言いまして、あまりにも大ざっぱ過ぎて逆に誤解を招くような描き方です。
(3)「新編・大村市史・第一巻」内容について(本の概要紹介は、ここからご覧下さい)
この本の「駅路の整備と変遷」項目(503〜512ページ)に詳細に書いてあります。これらについて、ここでは詳細に書きませんが、上記(1)に概要しか書いていない通称「石立様その1」・「石立様その2」、「立石様」、あるいは駅の「馬込」のこと、さらには古代の道と駅の想定図も書いてあります。なお、立石様については紹介文だけではなく、写真や大きさなどについても掲載されています。
私が見た目で、上記(1)「長崎街道―長崎県 歴史の道」の内容を、さらに詳細に書いてあるのではと思えます。ただし、この本には、立石様のあった元々の場所などについての記述は書いていないようです。
以上、上記3冊の本を紹介しましたが、上記の中では(3)の新編・大村市史・第一巻が、具体的に詳細に書いてあると言えます。
関係ページ:「大村の古代の道と駅」、「馬込水源」
(初回掲載日:2015年4月14日、第二次掲載日:2015年4月17日、第三次掲載日:2015年4月18日、第四次掲載日:2015年4月19日) |