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新編 大村市史 第一巻 自然・原始・古代編 (概要紹介)
新編 大村市史 第一巻(左側:箱の表装、中央:本の背表紙、右側:内表紙)<上記は3種類の画像を合成したもの

新編 大村市史 第一巻 自然・原始・古代編の発行
 大村市史編さん委員会は、2008年5月30日に第1回の準備懇談会、そして、2009年6月30日に市史編さん委員会に切換えられ、本格的に執筆や各作業が始まっていたことは新聞報道などでも紹介されていた。そして、今年2013年3月15日に『新編 大村市史 第一巻 自然・原始・古代編』(大村市史編さん委員会)が、発行された。(右側の合成画像参照。ホームページ掲載上、当然サイズ縮小をしているため画像が粗いことは、ご容赦願いたい)この本は(巻頭や奥付け含め)全体で628ページで、大きさは横幅約15cm、縦約21.5cmで透明ビニールで包装して、さらに白色の箱に入っている。

 大村市役所・市史編さん室で、一冊5,000円で販売されている。大村市内において、(まだ一巻のみ発行だが)本格的な通史で、しかも歴史事項だけでなく自然その他、様々な分野が網羅されている総合版の本が刊行されたのは、本当に久しぶりのことであろう。

 まだ、私は全ページを読んではいないが、口絵の写真を始め本文ページの花、自然、図、グラフに至るまでカラーに出来るところは、可能な限り工夫されている。当然、モノクロの部分もあるが、
1977〜1978年に刊行された旧『大村市史』より格段に見やすく、親しみやすくなっているようだ。

 関心のある市民あるいは郷土史愛好家の皆様、この大村市史は、幅広く奥深い内容ながら身近な自然や内容も書いてあると、私は思っている。

-----(下記の原稿は準備中。しばらくお待ちください)-----
大村市史の目的や意義について
 (原稿準備中)

市史と私の郷土史研究との関係について
 今回の市史内容と上野個人や私が管理人をしている『福重ホームページ』と若干関係がある。詳細は、後で書くとして、下記(1)(2)のことについて、先に触れておきたい。個人的な調査活動なども書いている点は、あらかじめ、ご容赦願いたい。

太郎岳大権現の礎石跡
郡岳の坊岩

(1)太郎岳大権現について
 郡岳(826m)の旧称・太郎岳に太郎岳大権現があったことを(大村)郷村記には書いてある。この古記録が正しければ、この権現の創建は、奈良時代初期の和銅年間(708〜715年)である。私は、神仏習合の寺院と思っているので神社と表現してもいいと思っている。その場所は、郡岳の東側八合目に本坊跡(奥行き約10m、横幅約40mの平地あり)及び頂上に4個の礎石跡(柱石)が残っている。

 さらに、この寺院が由来となって、郡岳の西側八合目付近に、坊岩(ぼうのいわ、高さ約40m、横幅約50mの巨大な岩)があり、その他、関係あった泉なども現存している。私は、この古代の謎の寺院跡探しに郡岳に10数回登山した。数回の登頂後、先に紹介した頂上にある礎石跡に文字か模様みたいなものがあったので、再度2010年6月16日に拓本道具一式持って半日がかりで作業していた。この時、たまたま、お会いしたのが、今回、自然編・執筆者の一人である宮崎氏だった。

 そして、当然ながら、この礎石跡や本坊跡について私の方から説明した。市史執筆時、ありがたいことに太郎岳大権現について、本133ページに大村郷村記を引用する形で、<(前略) 郡岳は古くは「太郎岳」と呼ばれ、多羅大権現が鎮座した最初の場所である。 (後略)>と書いて頂いた。私は、この太郎岳大権現と延命寺は、奈良時代に創建されたと思っている。

 あと、郡七山十坊の内、東光寺、龍福寺、弥勒寺、唐泉寺は、平安時代に出来たと推測している。なぜなら、紫雲山延命寺の標石や紫雲山延命寺縁起を持ち出すまでもなく、平安末期〜鎌倉時代に流行った末法思想による弥勒寺・草場の経筒(3個)、経塚の上に目印も兼ねて乗っていた単体仏の約10体は、奈良・平安時代から仏教寺院が松原や福重にいくつか創建されていないと、これだけの数は存在しないことを示している。

 つまり、「大村の仏教寺院や石仏は全て中世時代に出来た」と言う従来説は、間違いであろう。むしろ、現在、郷土史の先生方が、ほぼ全面否定されている紫雲山延命寺の標石や紫雲山延命寺縁起の方が、先の経筒単体仏の約10体を見ていると大枠において正しいと思える。たとえ標石が、後世に作られたものとしても、年号まで全部間違いと言うのは飛躍しすぎる推測である。また、大村氏系図や「大村純伊」伝説のように創作(偽装)をする意味もない事柄でもある。(詳細は「お殿様の偽装」ページ参照)

上野発行の冊子

(2)山田の滝と山田神社周辺の碑文について
 2011年4月5日、先に紹介した宮崎さんと合計3名で山田の滝や山田神社周辺の史跡をご案内した。植物調査も同時になされ、その結果が、本の「第三章 植物と動物」編の143ページ「7 山田の滝」項目に書いてある。

 そして、滝周辺にある大きな碑文を紹介する内容で、私の発行した冊子『山田の滝周辺にある題目淵の碑文(右側画像)を参照して頂いた。同様に「参考文献」一覧表にも冊子名や発行者名まで記述して頂いた。このページを借りまして、改めて感謝申し上げたい。


  (原稿準備中)


市史の感想について

 (原稿準備中)




(第一次掲載日:2013年4月8日、第ニ次掲載日:2013年4月 日)

 
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