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福重の名所旧跡や地形

本倉上堤(野田町)
本倉上堤(もとくら かみつつみ) 場所:長崎県大村市 野田町
本蔵の新田開発時に造られた溜池
 本倉の地名について、他にも漢字違いで元倉本蔵などがある。どの地名も現在でも使われている。<今回(大村)郷村記の名称:本倉上堤で紹介したい>

 この堤の築堤年は延宝7年(1679年)である。この年から本蔵地域の新田開発が始まった。ため池の広さは、目算ながら南北約20m、東西約25mである。本蔵地域には、本倉上堤以外にも、あと4池ほどある。(左側写真本倉上堤)
三代目深澤儀太夫と本蔵の新田開発
 歴代の深澤儀太夫(ふかざわ ぎだいゆう)の名前は、鯨組(くじらくみ、クジラ取り)の頭(かしら)として有名です。ただし、深沢家は、それだけではなく、現代風に言えば「公共工事」の資金提供者としても大変有名です。その事業は、現在の大村市、東彼杵町だけでなく、たくさんの地域に実に多くの功績が残ってます。特に、農業関係でコメ(米)の増産に貢献・寄与したのが、ため池造りでした。

 この本倉上堤(もとくらかみつつみ)も、三代目・深澤義太夫が、この本蔵地域の新田開発として延宝7年(1679年)に築堤(ちくてい)したといわれています。ここで、江戸時代前期の野田郷(町)に築堤された赤似田堤(あかにたつつみ)と、以前は立福寺町の字(あざ)「佐奈河内(さながわち)」にあった、(今は野田町の)本蔵に遷座した本蔵権現(もとくらごんげん)に、ご注目願います。

 先に赤似田堤(あかにたつつみ)についてですが、このため池は江戸時代初期の寛文年代(1661年から1670年頃)に、深沢儀太夫の二代目・深沢勝幸にて築堤されたと伝えられています。次に、本蔵権現(もとくらごんげん)についてですが、(大村)郷村記の現語訳で「当社(野田の本蔵権現)は、元(の位置は)佐奈河内にあったが、この村より遠く、色々な行事をするため不便なため、万治元年(1658年)九月この地に移した」と記述されています。

 この二つの記述で分かるのは、一つ目に当時の野田郷(町)東側の新田開発は、赤似田堤ができたことで一気に進んだと思われることです。二つ目に、ここからは上野の推測ながら本蔵権現が遷座したした「万治元年(1658年)」以前から、この周辺は既に、この郷(町)の中心地周辺であったということです。

 つまり、今回紹介中の「本倉上堤が延宝7年(1679年)に築堤」される以前から、狭いながらも水田や民家が存在した可能性が推測できます。補足ながら、この本蔵周辺には、今回紹介中の本倉上堤以外にも、「(本倉)小堤」と呼ばれる小堤が、戦前の空襲時の爆弾投下によって消滅した分も含めれば3〜4堤あったようです。そのことから、この内のいくつか小堤は、本倉上堤が出来る以前にあった可能性もあります。

 いずれにしても、この本蔵地域にある水田の最上部に、それまでの小堤より格段に大きい本倉上堤が、延宝7年(1679年)に築堤されたことを契機に、この本蔵地域の新田開発が一気に進んだことといえるでしょう。

(大村)郷村記の記述内容
 この本倉上堤について、復刻版=活字版の大村郷村記(発行者:図書刊行会、編者:藤野保氏)第2巻(福重村)97ページに、本倉上堤として記述されています。なお、原文は、縦書きの続き文で旧漢字体などです。念のため、できるだけ原文は生かしたいのですが、ホームページ表記できない文字もあるため、それらと同じような漢字に上野の方で変換しています。

 なお、見やすくするため太文字に変え、さらに改行もしています。なお、引用、参照される方は、必ず大村郷村記の原本から、お願いします。今回、現代語訳も青文字で大村郷村記の下部に書いています。

 一 本倉上堤
 根切長拾壱間弐尺六寸 根切横三間

 土居長弐拾間弐尺    築留横壱間
 直立壱間五尺      尺八弐間壱尺
 懸田弐段九畝廿壱歩半     藏入



・現代語訳
 上記の大村郷村記を現代語訳しますと、下記 < >内の青文字通りと思われます。ただし、上野の素人訳ですので、あくまでも、ご参考程度に、ご覧願えないでしょうか。下記は、見やすいように句読点の挿入、あるいは太文字や改行など変えています。

 なお、「根切」「土居」「築留」「直立」などの用語は、現在もダム、用水路、土木や住宅建設時などに使用されている場合もあります。しかし、江戸時代の堤(ため池)表示の用語と、現在も全部一致しているかといいますと、そうでない内容もあるようなので、あえて( )内の補注などはしませんでした。

 一つ 本倉上堤(もとくらかみつつみ)
  根切長は約21m 、 根切横は約5.5m。
  土居長は約37m 、 築留の横幅は約2m。
  直立は約3m 、尺八
(水量調整用の栓ある所)の長さは約4m。
  右の堤
(注:本倉上堤堤のこと)の、(水を供給する)耕作地(面積)は約4788平方メートルである。
  (この耕作地は)藏入(大村藩の直轄地)である。


補足


  (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)

関係ホームページ:・(本倉上堤の北側脇にある)野田の六地蔵』   、・(本倉上堤から西側へ約70mいった所にある)本蔵権現


(第一次掲載日:2019年1月11日、第ニ次掲載日:2月18日、第三次掲載日:3月10日、第四次掲載日:3月11日、第五次掲載日:3月16日、第六次掲載日: 月 日)



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