福重の名所旧跡や地形
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高野堤(野田町)
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高野堤(たかの つつみ) | 場所:長崎県大村市 野田町 |
この高野堤(ため池)は、旧・字(あざ)の「高野(たかの)」周辺にある。池の中央部西側に(小さな島みたいな)石垣があるのが特徴である。本来の目的は、田んぼへの潅漑(かんがい)用に築堤されたものである。また、左写真の手前側では、例えば野菜洗い、洗濯、風呂水など生活用水としても以前には使用された。ただし、現在、一部の田んぼ用を除き、生活用途としては用いられていないため、池の中に草がはえている。(左側写真が高野堤、2004年3月7日撮影) |
この高野堤(ため池)のある場所は、(高速道路)長崎自動車道に架かる高野橋(陸橋)の東端から南東方向へ100m強行った所にあります。(右側のグーグルアースの空中写真参照) 先の高野橋の東端近くには、野田古墳の天井石(農道開設記念碑)と、防火用水タンクがあり、そこからならば前と同じく80m位です。 この池の中央部西側に石垣があるのが特徴です。(上側の写真の中央部参照) この堤(ため池)の現在の大きさは、目測ながら南北間(横幅)が25m弱、東西間(縦)で10m弱のようです。しかし、周囲の木々が繁っているため長さが分かりにくい状況です。江戸時代の(大村)郷村記を参照すれば、もっと当時は広かったようです。 あと、このため池は、以前ならば田んぼへの潅漑(かんがい)用だけでなく、例えば野菜洗い、洗濯、風呂水など生活用水としても使用されていました。現在は、水道が町内にあるので生活用水としては皆無で、また潅漑用としても以前よりは少ないようです。 高野堤(ため池)が築堤(ちくてい)された(造られた)目的は、当然、稲作をおこなう田んぼに水を引く潅漑用でした。築堤の年代は、記録がないため不明です。上野の推測ながら、この地域の開発進展状況からして、戦国時代以前の築堤も充分推測できるものです。 この堤がある野田町(昔は野田郷)は、小さなため池が多く、約20の堤(ため池)が造られました。そして、福重地区最大のため池「赤似田堤」も、江戸時代の寛文年代(1661年から1670年頃)に築堤されています。このようなことから、数多い小さなため池のほとんどは、江戸時代以前の相当古くからあるものと考えられます。 あと、田んぼとは直接関係ないことですが、このため池近くには、野田古墳群(最低でも5基)がありました。その古墳は、7世紀頃のものと言われています。いずれにしても、相当古くから中山間地にあたる野田町では、新田作りが盛んにおこなわれ、そこに必要な水確保のため数多くの堤(ため池)が造られました。その一つが、この高野堤だったと思われます。 (大村)郷村記の記述内容 下記に江戸時代、大村藩によって作成された(大村)郷村記を引用しながら、この高野堤について、紹介します。下記の「 」内の太文字が、その文章です。 (注:パソコン変換できない文字は、同意語の文字に直しています。また、分りやすくするためスペース=空白で調整しています) なお、下記は参考程度にご覧になり、引用参照される場合は、必ず原本からお願いします。 「 一 高野堤 根切長拾弐間弐尺 根切横壹間五尺 土居長拾八間 築留横壹間 直立六尺 尺八壹間 懸田八段五畝拾歩 蔵入 」 ・現代語訳 上記の大村郷村記を現代語訳しますと、下記 < >内の青文字通りと思われます。ただし、上野の素人訳ですので、あくまでも、ご参考程度に、ご覧願えないでしょうか。下記は、見やすいように句読点の挿入、あるいは太文字や改行など変えています。 なお、「根切」「土居」「築留」「直立」などの用語は、現在もダム、用水路、土木や住宅建設時などに使用されている場合もあります。しかし、江戸時代の堤(ため池)表示の用語と、現在も全部一致しているかといいますと、そうでない内容もあるようなので、あえて( )内の補注などはしませんでした。 < 一つ 高野堤(たかの つつみ) 根切長は22.42m 、 根切横は3.33m。 土居長は33.76m 、 築留の横幅は1.8m。 直立は1.8m 、尺八(水量調整用の栓ある所)の長さは約1.8m。 (水を供給する)耕作地(面積)は8,401平方メートルである。 (この耕作地は)藏入(大村藩の直轄地)である> 上記の現代語訳の各数値と、先の概要紹介項目に書いています<現在の大きさは、目測ながら南北間(横幅)が25m弱、東西間(縦)で10m弱>と、かなり違うようです。なぜ、違うのかは、正確には不明です。ただし、この高野堤は、周囲の土地状況からして、築堤当時から変化していないとも思われます。(注:後で、南北間・東西間の長さが違っている理由が、判明すれば改訂したいとも考えています) 補足 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) 関係ホームページ:「赤似田堤」 「野田古墳の天井石(農道開設記念碑)」 「野田古墳」
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