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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

大神宮秋季例祭 奉納 浦安の舞


大神宮秋季例祭 奉納 浦安の舞

<補足説明>
(1)写真左側の文字は、村社 太神宮秋季例祭 奉納浦安ノ舞となっています。村社とは、「旧制度の社格の一。郷社(ごうしゃ)の下、無格社の上。多くは村の鎮守の社などが列格され、社掌(しゃしょう)が置かれていた」とのことです。(国語辞典の大辞泉より)

  文字全体の意味は、「大神宮の秋のおくんちで浦安の舞が奉納され、その時の記念写真」ということです。

(2)浦安の舞は、国語辞典の大辞泉によると「神事舞の一。1940 年(昭和 15)の皇紀二千六百年祝典の際に作られたもの。上代の手振りをしのぶ、荘重典雅な女舞」と書いてあります。

 写真では当時、福重小学校の女子生徒と思われる4名が写ってますので、この時は4人舞だったのでしょう。あと、(動画サイトで見てみると)一人舞、二人舞もあるようです。いずれにしても、おごそかで実に優雅な舞です。

(3)撮影場所は、後方に大神宮の拝殿が写っていますので分かりやすいですが、拝殿に向かって左側(西側)です。最後方にある木々は、当時も今も、ほとんど変わっていません。

(4)装束について、書きます。上記写真は白黒なので分かりにくいですが頭には、かんざしを挿し、白衣と緋袴(ひのはかま、ひばかま)を着て、手には鈴を持っての写真のようです。。先の国語辞典にもあった通り、1940 (昭和15)年に、ほぼ全国いっせいにできた浦安の舞ですので、多少の違いがあっても、どこも似た装束になっているようです。

(5)この写真が撮られた1941年は上記写真の通り、舞っていたのは確実です。そして、いつの時期からか不明ですが、この浦安の舞は、福重地区開催の例祭では舞われなくなりました。

 (初回掲載日:2013年8月1日、第2次掲載日:2013年8月3日)


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