<補足説明>
(1)写真左側には、産業組合役職員一同の文字があります。産業組合は、国語辞典の大辞泉には下記の通り書いてあります。つまり、現在の農業協同組合(JA)、信用金庫、生協の前身といえるでしょう。
産業組合:明治33年(1900)産業組合法によって設立された協同組合。信用・販売・購買・利用の4種があり、資力の弱い中小生産者・農民の保護と救済を目的とし、特に農村で発達した。第二次大戦後は各種の協同組合に移行。
(2)撮影場所は、後になって福重農協と呼ばれた建物の玄関先です。集合写真右側に、その看板文字がありますが、摩耗のため数文字を除いて判読不能です。この建物は、道路はさんで北側にできた鉄筋コンクリートの福重農協ができた後も存在していました。
その後、この建物の解体、その他の変遷があり、場所自体は現在(2013年5月12日落成の)皆同公民館より、やや北西側の位置だったと思われます。
(3)上記写真には全体で13名写っておられます。前列中央の方が、当時の正式名称は不明ですが、今で言う「組合長」(もしくは「農協長」)と思われます。この中には年配の方もおられますが、常勤役員というより、非常勤の理事の方でしょうか。
(4)当時の福重村の人口(大村市合併時=1942年2月11日)は、大村市史・下巻によりますと、2,691人です。私の推測ながら、当時の福重村は就業人口に占める農業者の比率が高く、たぶんに95%以上だったかもしれません。
そのような状況下で上記写真に写っておられる産業組合(後の福重農協)が果たされた役割は大きかったと思われます。
(5)この写真撮影時も通常の服装と違うと思いますが、既に掲載中で和服が多い村議会議員写真に比べ4名の和服を除き、あとは洋服です。その内2名は、学生服か国民服のようにも思えます。
(初回掲載日:2013年8月20日、第2次掲載日:2013年8月21日)
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