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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

国民学校職員


国民学校職員

<補足説明>
(1)写真左側には、国民學学校役職員の文字があります。国民学校は、国語辞典の大辞泉には下記の通り書いてあります。それまで親しまれてきた尋常小学校という呼称から、1941年〜1947年まで国民学校と呼ばれていました。

 国民学校:昭和16年(1941)公布の国民学校令により従来の小学校を改めて成立した、皇国民の基礎的練成を目的とする初等教育機関。昭和22年(1947)まで存続。

 福重尋常小学校も上記の一時期、福重国民学校と名称変更となりました。その後、1947年4月1日以降、現在の大村市立福重小学校の名称に変わりました。

(2)上記の写真には、合計13名の先生方が写っておられます。前列左から3番目が、校長先生と思われます。先生の数についてですが、時代によって変化はあったと思われますが、1941年当時13名、(2004年現在)14名ですから、先生の人数自体は大きい開きはなかったと思われます。

(3)撮影場所は、2階建て本館校舎の正面玄関前です。開口部が高いのが、特徴です。この場所は、上記写真以外にも数多くの記念写真が、ここで撮られているのが判明しています。

(4)服装についてですが、男性の若い先生3名は、学生服(もしくは国民服)です。また、国民服に足の方はゲートルを巻いておられる方もいます。女性は、黒か紺色のスーツ姿です。先に掲載中の村役場職役場吏員(職員)産業組合職員の場合、和服でしたが、そこが小学校の先生との違いが出ている感じにも見えました。  

 (初回掲載日:2013年8月23日、第2次掲載日:2013年8月25日)

 

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