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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

村会議員


村会議員

<補足説明>
(1)写真左側には村會議員の文字があります。このページには、写真集とは別に後で付箋が1枚付けられていて、写真に写っておられる全員のフルネームが分かっています。ただし、付箋部分は今回省略します。

(2)この当時の村議会議員の定数は不明ながら、上記写真には12名の議員が写っています。前列中央(背広・ネクタイ姿)が、山田竹次郎・村長です。(この村長については、「山田村長の(写真集発刊にあたっての)挨拶」ページを参照)

(3)福重村の町内は、10町(重井田郷、立福寺郷、野田郷、今富郷、弥勒寺郷、矢上郷、草場郷、皆同郷、寿古郷、沖田郷)でした。1986(昭和61)年の町名町界整理によって「郷」から「町」に変わりました。ただし、矢上だけが町名そのものも福重町に変わりました。それ以外には町名の変更はありません。

(4)後方に写っている建物は、福重村役場の正面玄関です。この写真を見ると、白塗りの木造建築、高い玄関開口部などが分かります。また、部屋ごとのガラス窓(玄関左右側の部屋)も高さがあります。

(5)上記写真の12名の内、和服が8名、洋服が4名です。男性の場合、当時は「国民服」(注1)を日常普段に着ておられたようです。この時は、たぶんに「記念撮影があるから正装で撮ろう」と言うことだったのでしょう。このような集合写真の服装だけからしても、当時の生活の一部が伝わってきます。

(注1):国民服とは、国民が常用すべきものとして昭和15年(1940)に制定され、第二次大戦中、広く男子が着用した軍服に似た衣服。(国語辞典の大辞泉より)


 (初回掲載日:2013年8月11日、第2次掲載日:2013年8月14日)


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