<補足説明>
(1)写真左側には、軍人家族児童の文字があります。ただし、写真の通り、男子生徒のみで、女子生徒は別に(次ページ掲載)あります。全体で80名のようです。女子生徒写真には先生が、3名一緒に写っておられるのですが、上記写真では男子生徒のみです。私が想像するに男子生徒数が、多かったためではないでしょうか。
(2)撮影場所は、福重小学校・本館校舎前です。また、小学校の自家菜園で作ってあったのか、写真下部右側には大きな野菜が写っています。たぶんに戦地のお父さんへ、見せたかった自慢の野菜だったのでしょう。
(3)平均身長について、文部科学省の学校保健統計調査を参照しますと、この当時の6年生男子生徒は約133cmです。それに対し2010年では約145cmですから、1941年頃は、かなり低かったと思われます。上記の集合写真でも、身長だけを見れば全体的に幼く見えています。現在の小学校卒業式写真では親より身長が高い生徒も珍しくはなく、上記写真は隔絶の感がしてきます。
(4)服装の件ですが、通常の通学服装とは違って推測ながら事前に先生から「明日は記念写真を撮るから、服装は学生服を」みたいな注意があったのでしょう。1名の和服を除き、折襟の学生服ばかりです。色は、黒・紺・カーキ色など様々なようです。
(5)この当時、運動靴を履ける生徒は、裕福な家庭の子どもたちでした。上記写真、最前列左側の生徒の足元は全て草履(ぞうり)です。これは、つのんぼ草履で、大村弁では「つのんぼじょうり」と言い、鼻緒部分が角ばった藁草履(わらぞうり)のことです。当時の人達は、自分たちで稲藁を編み、手作りで草履を作っていました。
(初回掲載日:2013年9月21日、第2次掲載日:2013年9月22日)
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