<補足説明>
(1)写真左側には、國防婦人會員皆同郷の文字があります。この皆同郷(町)の国防婦人会は、下記の国語辞典にある大日本国防婦人会の一つの支部ということです。
<国防婦人会=昭和7年(1932)大阪で結成された婦人団体。出征兵士の送迎など、戦争協力団体として活動。同17年愛国婦人会と合併して大日本婦人会となった。正式名称は大日本国防婦人会。>
(2)撮影場所は、皆同郷(町)にあった福重村産業組合(戦後の名称は、福重農業協同組合=福重農協へ変わった)の倉庫(米などの貯蔵庫)前ではないかと思われます。(この場所については、前ページも参照願います)
(3)写真には、合計38名プラス幼児2名(右端側)の方が写っておられます。
(4)この写真での服装は、和服、もんぺ姿が良くわかります。もんぺについては、下記<>内の国語辞典・大辞林を参照願います。
<もんぺ:裾(すそ)を足首の所でしぼった労働用の袴(はかま)。腰回りはゆったりしていて,着物の裾を入れることができる。主に東北の婦人が用いたが,第二次大戦中全国に広がった。>
(5)この写真には、同じ国防婦人会でも沖田郷や寿古郷の写真にあった幟(ノボリ)や旗などがないようです。ただ、全員ではないですが、大日本國防婦人會の文字入りタスキを肩に掛けた方は多いようです。
(初回掲載日:2013年12月11日、第2次掲載日:2013年12月14日)
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