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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

皆同郷と重井田郷の青年団


皆同郷と重井田郷の青年団

<補足説明>
(1)上側写真左側には、男女青年團皆同郷の文字があり、下側写真右側には、女子青年團重井田郷の文字があります。=団です。それ以外の写真説明文は、補足が要らないくらい分かりやすいので、特に書き足すことはありません。

(2)上側写真の撮影場所は、皆同郷(町)にあった福重村産業組合(戦後の名称は、福重農業協同組合=福重農協)の倉庫(米などの貯蔵庫)前ではないかと思われます。(この場所については、皆同郷の軍人家族ページジ皆同郷の国防婦人会ページも参照願います)  ただ、先2つのページと違っているのは、女性が座っておられるバンコ(腰掛け)があることです。

 下側写真の撮影場所は、特定できてませんが、たぶん重井田郷(町)にある太神宮(だいじんぐう)の鳥居をくぐって直ぐの所ではないかと思われます。列の後方にある大きな石が目につきます。

(3)上側写真の皆同郷の男女青年団は、男性6人、女性3名の合計9名です。下側写真の重井田郷の女子青年団は、7名です。当時の青年団新規加入年齢が分かっていませんが、何人かは、私の見た目ながら幼い顔(現在なら中学生みたい)に見える人がいます。

(4)上側写真の服装は、男性が1名を除き国民服(注1)、女性はそれぞれの和服です。下側写真の服装は、女子全員が和服で、その上に黒の羽織だと思われます。たぶん、事前に話し合われたのでしょう。

(注1):国民服とは、国民が常用すべきものとして昭和15年(1940)に制定され、第二次大戦中、広く男子が着用した軍服に似た衣服。(国語辞典の大辞泉より)


(5)上記2枚の写真で分かることは、福重村の全郷(10町)とも、青年団が存在し、しかも、人数が多かったことが良く分かります。(2013年12月)現在の10町合計の世帯数や人口よりも、当時は少なかったにも関わらず、若い方が多かったということでしょう。

 (初回掲載日:2013年12月16日、第2次掲載日:2013年12月18日)


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