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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

野田郷の軍人家族


野田郷の軍人家族

<補足説明>
(1)写真左側には、軍人家族野田郷の文字があります。 この写真は、野田郷(町)から陸軍もしくは海軍として戦地に出征されている軍人の留守家族ということです。

(2)撮影場所は、野田郷(町)にある個人宅(福重さん宅)の座敷前です。他の郷(町)の撮影場所は、ほとんどが当時、公民館も兼ねていた権現の拝殿周辺ですが、野田の本蔵権現は庭部分が狭いのと樹木に囲まれている関係から光線上で難があるので、上記のような個人宅になったと推測されます。

(3)写真には、合計40名の方が写っておられます。その内、幼児や子どもさんたちが16名写っておられるようです。前列の子どもたちは、大人同様に正座されています。

(4)服装は、男性の場合、和服や国民服です。女性の場合、全員が和服です。子どもさんで小学生と思われる人は学生服やセイラー服着用もありますが、それ以外は各々の普段着のようです。

(5)列の後方左側、白く見えているのは、(上から順に横書きされている)「食糧増産 長崎縣」と染め抜かれた旗です。この旗は、銃後の郷土写真集によく登場していますが、その中でも上記写真が一番鮮明に見えます。旗がピンと開いて見えるのは、たぶんに旗竿の反対側を画鋲(がびょう)で留められたからでしょう。

 あと、この旗が各郷(町)に必ずあったのは、それだけ当時、政府や長崎県からコメなどの食糧増産の大号令がかかっていたからだと思われます。

 (初回掲載日:2013年12月30日、第2次掲載日:2014年1月1日)


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