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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

矢上郷と弥勒寺郷の男女青年団


矢上郷と弥勒寺郷の男女青年団

<補足説明>
(1)上段の写真左側には男女青年團矢上郷、下段の写真右側には男女青年團弥勒寺郷の文字があります。この写真は、矢上郷(現在の福重町)と弥勒寺郷(町)の男女青年団の集合写真いうことです。

(2)矢上郷の男女青年団写真の撮影場所は、後景部分に林があるようですが、それ以外に特徴ある建物がないため推測も難しい状況です。ただし、この写真集全体、各郷(町)の集合写真は、たいていの場合、そこの神社や権現の境内で撮影されているので、もしかしたら矢上郷も同様と思われます。

 弥勒寺郷の男女青年団写真の撮影場所は、先の「弥勒寺の軍人家族」、「国防婦人会弥勒寺郷」と同じく、熊野権現の境内と思われます。なぜなら、左側後方の熊野権現本殿の形と自転車が同じように写っているからです。

(3)矢上郷の男女青年団写真の人数は、7人(女2、男5)です。弥勒寺郷の男女青年団写真の人数は、13人(女10、男3)です。当時の弥勒寺郷の世帯数は、若干、矢上郷よりも多かったと推測されますが、そう大きな差ではありませんでした。

 しかし、上記の2枚写真では、青年団員の数が、かなり違って弥勒寺郷の方が相当多いです。この人数差について、詳細な理由までは分かりませんでした。

(4)矢上郷の男女青年団写真で女性二人の前にある日の丸付きの大きい額について、書きます。まず、日の丸を挟んで右側の大きい文字は「 国威宣揚」(こくいせんよう)、同じく左側には「武運長久」(ぶうんちょうきゅう)が書いてあります。両熟語の意味は、下記を参照願います。

・武運長久(ぶうん ちょうきゅう) =武人としての命運が長く続くこと。また、出征した兵がいつまでも無事なこと。(goo辞書より)
・国威宣揚(こくい せんよう) =国の威力を広く世の中にはっきりと示すこと。(大辞泉より)


 また、左右の大きい文字の各両側に、小筆で書いたような小さな文字が、合計4行あるのですが、これが拡大しても見えませんでした。雰囲気としては、たぶんに「福重村、矢上郷」さらには出征兵士の氏名が書いてあるのではと推測しています。

 あと、視認しずらいのですが、両文字の上部の左側には陸軍旗、右側には海軍旗が描かれているようです。以上のことから、この額に入れられたものは、矢上郷の誰かが出征した時に祈念の旗(出征記念碑旗)みたいに作られたものと推測しています。

(5)弥勒寺郷の男女青年団写真の後列左側に旗が見えます。この旗には、左上から右下方向に(上の行が)「東彼杵郡福重村青年團」、(下の行の大きい文字で)「矢上郷支部」と白抜き文字で刷り込まれています。

(6)服装は、両写真とも女性は全員和服、男性は青年学校の制服か国民服もしくは白い作業シャツのようです。

 (初回掲載日:2014年3月16日、第2次掲載日:2014年3月17日)


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