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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

弥勒寺の国防婦人会


弥勒寺の国防婦人会

<補足説明>
(1)写真左側には、國防婦人會員彌勒寺郷の文字(彌勒=弥勒)があります。(この国防婦人会については、下記国語辞典・大辞泉の<>内を参照)この写真は、国防婦人会・弥勒寺郷支部の集合写真です。

 <国防婦人会=昭和7年(1932)大阪で結成された婦人団体。出征兵士の送迎など、戦争協力団体として活動。同17年愛国婦人会と合併して大日本婦人会となった。正式名称は大日本国防婦人会。>

(2)撮影場所は、弥勒寺郷(町)にある熊野権現の境内と思われます。なぜならば、写真左後方側に熊野権現の本殿が大きく写っているからです。先に掲載中の「弥勒寺の軍人家族」や、後で掲載予定の「弥勒寺郷の男女青年団」の集合写真も同じ場所、同じ角度で撮影されているからです。

(3)先の(2)項目の補足になりますが、このページの「弥勒寺の国防婦人会」と「弥勒寺の軍人家族」の2枚の写真は、同じ場所や角度だけではなく、後方の本殿の屋根や板壁の大きさも大体同じです。たぶん、カメラ位置を変えたとしても前後数メートル以内か、あるいは人数に応じて標準レンズか広角レンズを変えられた程度でしょう。

 つまり、カメラ位置は、ほとんど同じ所に固定して、人が入れ替わっただけの写真と思われます。さらに推測すれば2枚の写真は、同一日の同一時間帯でシャッターを押した時間差だけと思われます。

(4)写真には、婦人会32名プラス幼児が2名ほど(あと1名は背負っておられるので帽子1/3位にしか見えず未確認)写っておられます。見た目の雰囲気からですが、20〜30歳代の方が5〜6人おられますが、どちらかと言いますと年齢の高い方が多いようです。

(5)服装は、全員が和服です。正装みたいな方もいれば、普段着に近い方もおられるようです。同じ国防婦人会の集合写真でも、例えば「寿古郷の国防婦人会」のように全員が白の割烹着姿に婦人会のタスキ掛けです。しかし、上記写真の場合は、白の割烹着姿は3名だけで、タスキ掛けの方も6名のみです。

 他の写真では、目線が撮影者の方向ではなく、横や別角度を向いた方が何名かおられます。しかし、上記写真ではカメラのレンズ一点を全員が凝視するような雰囲気が見られ、緊張感の強い写真とも言えます。

 (初回掲載日:2014年3月10日、第2次掲載日:2014年3月15日)


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