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1941年(福重村写真集)銃後の郷土 今日的意義や重要性

1941年(福重村写真集)銃後の郷土の今日的意義や重要性
  この写真集は、「はじめに」ページにも書いています通り、1941(昭和16)年11月に発行されたものです。この当時の状況含めて、写真集そのものついて現在からみた場合の意義や重要性について、このページではまとめておきます。それは、次の(1)(5)項目と思われます。

(1)戦前の風景や建物などの写真は貴重である

 戦前は、まだカメラも写真も貴重でした。そのような中で、集合写真が多いため限られてはいますが、当時の福重村の風景、農作業、村役場、福重小学校、神社や権現(今の公民館がわりでもあった)なども掲載されています。このような戦前の風景や建物写真は、大村市内あるいは長崎県内でも数少ないため本当に貴重と言えます。

(2)福重村の雰囲気を伝える唯一の写真集である
 上記(1)と関係ありますが、人物、風景、建物、行事など福重村全体の雰囲気を写し、伝えるものとしては、唯一この写真集のみです。

(3)戦前の行事、人の動きも伝えている
 この写真集には、例えば大神宮における秋季例祭、稲刈りと掛け干し作業、青年団や小学生による勤労奉仕などもあります。撮影時期が秋季の数か月間ですが、これらの写真は、「人が地域で生活している」、あるいは「共同で何かの行事を開催している」など、当時の人の動きを伝えていて、このような写真の存在自体が大村市内では数少ないともいえます。

(4)戦前の建物研究の材料ともなる

 上記(1)にも触れている建物などは、戦後になって建てかえ、新築あるいは当時の場所からの引っ越しなどもあり、全て変わっています。そのような戦前の建築物や変遷を研究する上で、この写真集に写っている建物は、一つの材料となるでしょう。

(5)戦前に存在した各団体が分かる
 戦後になって解散や新たに再編成された、例えば国防婦人会、青年学校なども、写っています。また、現在は名称が変わっていますが、警防団(消防団のこと)、産業組合(農協のこと)など、当時の呼び方が分かる資料でもあり、歴史の記録集としても意義ある写真集です。

(掲載日:2014年5月7日)


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