「福重のあゆみ」の『原始時代』のページに書いていますが、今までに福重地区には多くの縄文・弥生・古墳時代の遺跡が発見されました。今回このページには、その中で冷泉遺跡の概要をご紹介します。(この遺跡とは別の岩名遺跡のページもあります)
なお、このページとは別に、福重地区には古墳も多数発掘されていて、その一部として黄金山古墳、野田古墳をご紹介していますので、ご覧下さい。
冷泉遺跡 |
長崎県大村市今富町の冷泉遺跡は、1999(平成11)年におこなわれた発掘調査では、竪穴住居跡6棟、石棺墓(せきかんぼ)3基、配石墓(はいせきぼ)3基がみつかりました。
弥生時代から古墳時代に移り変わる途中(3世紀末頃)といわれています。この遺跡の今富町には、5世紀頃の黄金山古墳、地堂古墳もあります。
この遺跡は、富の原遺跡、黄金山古墳・地堂(じどう)古墳などが造られた古墳時代に移り変わる途中((3世紀末頃)の遺跡であることが分りました。
墓からは銅鏡、ガラス玉、管玉(くだたま)、鉄製の矢じりや少刀が、住居跡からは、甕(かめ)、壷(つぼ)、鉢(はち)、高杯(たかつき)、器台(きだい)など、たくさんの遺物が出土しました。
土器は古式土師器(こしきはじき)と呼ばれ、富の原遺跡・黒丸遺跡の弥生土器の伝統を受けつつも、新しい古墳時代の土器の作り方だったといわれています。
この時代は、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)にあるように多くの国が北部九州を中心に成立した時代でした。冷泉遺跡の土器は、その地域の技術的特長を持ち、両文化が混ざり合っていく様子が良く分ると資料といわれています。(大村市教育委員会発行『市内遺跡発掘調査速報版』より)
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先述の通り、福重地区には多くの遺跡がありますので、上記に掲載できなかった分は、文章や写真の準備が出来しだい、このページもしくは個別のページに掲載していく予定です。その時は、また、ご覧願います。(掲載日:2004年12月22日)
・関連の『福重のあゆみ、原始時代』は、ここからご覧下さい。
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