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福重にある橋
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福重にある橋
矢上橋(やがみばし)
矢上橋(大村市福重町と皆同町の間)
矢上橋、銘板の合成写真
矢上橋(やがみばし)

橋のデータ
・長さ:7.80m  ・幅:6.00m  ・市道名:大園八龍線
・竣工年:1977(昭和52)年12月
(注:この橋は、長崎県大村市福重町と皆同町に架かっているが、橋の区分整理上、福重町に入れた)

 現在、この橋は福重町と皆同町の間に架かっています。名前の矢上橋は、旧町名の「矢上郷」が由来と思われます。橋の銘板(右側下の)合成写真をご覧頂ければ分かりますが、以前はここを通っている市道は「矢上郷線」と呼称されていたようです。

 なお、この周辺の航空写真は、「福重小学校紹介」ページの「2005年11月2日 学校と福重町周辺」をご覧下さい。この写真のほぼ中央やや左側が矢上橋です。

 この橋の下を流れているのは石走川の本流(河口の数百メートルは江戸時代の郷村記には松原川、現在は通称「よし川」とも」呼称されている)が流れています。

 (念のため、石走川はもう一本、野岳方面から流れて来て旧字の石走に流れる川も同様に石走川と言いますが、同じ所で石走川同士が合流します)

 この橋の周辺付近は、太古の時代は海でした。今でも、地上から数メートル掘り下げれば、この一帯、貝殻とか海の堆積物などが出るそうです。また、この橋から、あまり遠くない所には、舟繋ぎ石もあります。以前は、もっと沢山、このような石はあったとも聞きます。

 近くに大村市立福重小学校があるため登下校時間帯には、この学校に通っている皆同町、寿古町、沖田町や今富町などの小学生の元気な声の聞こえる橋でもあります。

 近くの柳町団地は、住宅地です。「柳町」の地名からして奈良時代の頃、条里制の跡もしくは時代は下って京都の荘園跡の名残とも思われます。(京都にも同じ地名があります)あと、私が小学生(2006年現在から換算して40数年前)の頃は、見渡す範囲内総て田んぼで牟田もありました。それを利用して蓮根も栽培されていました。

 今でも、この橋から今富城跡近くまで下り、逆に今度は妙宣寺方面を見ると、前景にある田んぼ、後ろにある郡岳や鉢巻山など、なかなかいい風景(写真)にもなります。

(掲載日:2007年1月3日)

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