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大村の馬頭観音

梶ノ尾の馬頭観音その2
梶ノ尾の馬頭観音その2

梶ノ尾の馬頭観音その2データ

 (1)石仏名称 梶ノ尾の馬頭観音その2(かじのお の ばとうかんのん その2)
 (2)所在地 大村市松原一丁目 (大きな楠の前)
 (3)本体の大きさ 高さ50cm、横幅29cm、胴囲100cm
 (4)土台石の大きさ ・上部:高さ29cm、横幅29cm、周囲117cm
・下部:高さ28cm、横幅43cm、周囲165cm
 (5)制作年代 正確には不明である。碑文には「昭和三十六年十月吉日 八幡神社ヨリ移転郷拝」 (現代語訳:昭和36(1961)年10月吉日に八幡神社より移転した)とある。
 (6)主な特徴  (基本形は)三面六臂
 (7)特徴点の補足 光背部分が他の馬頭観音より狭い。
 (8)感想、その他 彫像の盛り上がりが大きく、顔、手から髪の毛に至るまで精巧に細工されている。(草場の馬頭観音に似ている)

注:梶ノ尾の馬頭観音そのと下記(大村)郷村記とは直接関係ないが参考までに記述した。

 (大村)郷村記:
(次の太文字)  梶の尾 一馬頭観音 神木楠、廻り壱丈餘 例祭九月十九日 勧請不知 所中祭之 地形貳間ニ三間程

 ・上記の現代語訳:(次の「」内。ただし素人訳なので、ご参考程度に)梶の尾 馬頭観音 ご神木の楠があり周囲は3m余り。例祭は9月19日である。例祭に来てもらっている所(寺か神社)は不明である。この周辺で祀っている。地形(じぎょう、建築物の敷地の大きさ)は、(奥行き)3.6m、(横幅)3.6〜5.4mほどである」

<補足説明>右下側写真:大きな楠の前にある梶ノ尾の馬頭観音その2(写真中央) 左端側にあるのが松原宿活性化協議会の史跡説明板>

 この梶ノ尾の馬頭観音その2は、大村市内で最も知られた馬頭観音の一つである。それは、直ぐ脇に松原宿活性化協議会の案内板があるためだ。(2012年2月現在)私の調べた範囲内ながら、大村市内の馬頭観音で分かりやすい史跡説明板があるのは、ここだけである。

 松原に行かれたら梶ノ尾公民館から東側方向へ100m位の所に、幹まわり約8mの楠(くすのき)があり、けっこう遠くからでも良く目立っている大きな木である。右側写真の通り、その楠の真ん前に、梶ノ尾の馬頭観音その2はある。あと、右側写真に写っていないが、2013年3月に松原本町より移設された梶ノ尾の馬頭観音その3も、左側に並んである。

 松原宿活性化協議会で立てられている史跡説明板(案内板)には、次の「」内の文章がある。「梶ノ尾の馬頭観音石像と大楠 野岳の合戦時、落武者の一人がここまで来て亡くなったが、この地に馬を埋めた。地元の方が供養の為、馬頭観音を祀り、楠を植えたのではないかという。楠の周囲は8.1mあり、観音像の近くの農家が祀っておられる。例祭は十二月十九日。」

 上記、梶ノ尾の馬頭観音その2データ表には書いていないが、彫像下側にある土台石の碑文には、建立者関係の37名の個人名がある。あと、上表のデータ部分に<「昭和三十六年十月吉日 八幡神社ヨリ移転郷拝」 (現代語訳:昭和36(1961)年10月吉日に八幡神社より移転した)とある>とある。

 これは、碑文を書き写したものであるが、調査当初、私なりに疑問もあった。それは、馬頭観音の建立場所は、本来は集落(町や村)の外れ、あるいは道路脇に多くあったと言われている。しかし、「八幡神社より移転した」となると、この松原八幡神社は、創建も古く大村を含む彼杵地方では名のある神社である。

 つまり、「松原八幡神社は、松原(旧・松原村、現・大村市松原地区)の中心地」の神社である。そのような中心地に通常、馬頭観音は建立されていない。なぜ、この馬頭観音が、昭和36(1961)年の移転まで、「この神社周辺にあったのか?」と言う疑問である。

 これらの疑問点は、当初(2012年2月現在)私の聞き取り調査の範囲内では、不明だった。しかし、その後も調べていたところ、(2014年5月3日)地元の方から、「この馬頭観音建立は、松原八幡神社周辺や松原地区の多くの方が関係している」との情報を得た。それならば、先の疑問は解けるものである。

 この場所は、大きな楠が目印になるので遠くからも探しやすいし、また脇には史跡説明板もあるので馬頭観音について分かりやすいので、近くに行かれた機会に見学をお勧めする。

(初回掲載日:2012年4月10日、第二次掲載日:2012年4月10日、第3次掲載(大幅改訂):2014年5月5日)

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