<補足説明>
まず、このページ右側写真を参照願いたい。中央部やや下部の道路脇に永松(長松)の馬頭観音はある。この道は、寿古公民館や寿古公園から北北西端側(好武城址方面)へ、直線で数十メートル行った所である。また、この地点で道路は、ほぼ直角にカーブしている。
馬頭観音は、一般に村や町(集落)の外れで道路脇にあるのが、建立された当時の場所と言われている。その意味で、この馬頭観音のある所は、集落内ではあるが、道の横にあるという点で同種のことと思われる。ただし、最初から、この場所だったか、どうかという点について、私は調査していない。後でわかれば改訂含めて検討したい。
建立者の平惣吉氏は、この馬頭観音の横(写真の奥側の民家)の平さん宅のご先祖である。同氏は、生前から多くの人から信望厚かったようだ。その一つの表れとして町墓に同氏の大きな自然石の墓碑にまつわる話がある。これについて、「この大きな石(墓碑)は、郡岳の山中から大勢で運ばれて造られた」との地元伝承がある。
あと、永松(長松)の馬頭観音の高さそれ自体は、大村市内にある数多い馬頭観音に比べても、けっして飛び抜けて高い方ではない。しかし、たいてい碑文が彫ってある別の土台石と一対となった(二つに分かれた)造りが多い中で、この馬頭観音は、高さ70cmの一本石材でできている。
この永松の馬頭観音は、平惣吉氏が建立されたものであるが、寿古町の長松(永松)地域で長年祀られてきた経過がある。現在でも(個人や)地元で12月19日に祀られているようである。
(初回掲載日:2014年6月6日、第二次掲載日:6月14日、第三次掲載日:8月13日 、第四次掲載日:2018年7月30日)
|