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大村の馬頭観音

永松(長松)の馬頭観音
永松(長松)の馬頭観音

永松(長松)の馬頭観音のデータ

 (1)石仏名称 永松(長松)の馬頭観音(ながまつ の ばとうかんのん)
 (2)所在地 大村市寿古町 (市道脇)
 (3)本体の大きさ 高さ70cm、横幅30cm、胴囲88cm
 (4)土台の大きさ 高さ6cm、横幅50cm、周囲 cm
 (5)建立年代 明治26(1893)年4月1日
 (6)主な特徴  (基本形は)三面六臂
 (7)特徴点の補足  やや細長い造りである
 (8)感想、その他  全体に摩耗が激しい

 本体下部にある碑文:(次の太文字)  明治廿六年四月一日 馬頭観世音 施主 平惣吉

・上記の現代語訳: (次の「」内、ご参考程度に)「馬頭観音を明治26(1893)年4月1日に施主(建立者)の平惣吉(ひら そうきち)が建立した」

  左側写真説明:馬頭観音中央部下部(平たい部分)に文字がある。写真手前側に市道がある。奥側は民家である。右側(東側)が郡川方向となる。

 注:名称について、私は字(あざ)の「永松」を先に使っているが、地元では現在「長松」の方が一般的呼称のようである。また、旧来からある地域呼び名と字図との位置関係は、地図通りに一致する場合もあれば、ない場合もある。

<補足説明>
 まず、このページ右側写真を参照願いたい。中央部やや下部の道路脇に永松(長松)の馬頭観音はある。この道は、寿古公民館や寿古公園から北北西端側(好武城址方面)へ、直線で数十メートル行った所である。また、この地点で道路は、ほぼ直角にカーブしている。

 馬頭観音は、一般に村や町(集落)の外れで道路脇にあるのが、建立された当時の場所と言われている。その意味で、この馬頭観音のある所は、集落内ではあるが、道の横にあるという点で同種のことと思われる。ただし、最初から、この場所だったか、どうかという点について、私は調査していない。後でわかれば改訂含めて検討したい。

 建立者の平惣吉氏は、この馬頭観音の横(写真の奥側の民家)の平さん宅のご先祖である。同氏は、生前から多くの人から信望厚かったようだ。その一つの表れとして町墓に同氏の大きな自然石の墓碑にまつわる話がある。これについて、「この大きな石(墓碑)は、郡岳の山中から大勢で運ばれて造られた」との地元伝承がある。

 あと、永松(長松)の馬頭観音の高さそれ自体は、大村市内にある数多い馬頭観音に比べても、けっして飛び抜けて高い方ではない。しかし、たいてい碑文が彫ってある別の土台石と一対となった(二つに分かれた)造りが多い中で、この馬頭観音は、高さ70cmの一本石材でできている。

 この永松の馬頭観音は、平惣吉氏が建立されたものであるが、寿古町の長松(永松)地域で長年祀られてきた経過がある。現在でも(個人や)地元で12月19日に祀られているようである。

(初回掲載日:2014年6月6日、第二次掲載日:6月14日、第三次掲載日:8月13日 、第四次掲載日:2018年7月30日)

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