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大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など

福重小学校・プール竣工記念碑

 概要紹介
掲載中
 1)記念碑の大きさなど
掲載中
 2)碑文内容について
掲載中
 3)プール敷地の広さなど
掲載中
 4)補足とまとめ
-
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。
掲載中
(写真1) プール竣工記念碑(本体、黄色文字はCG加工)

(写真2) プール全景(航空写真、右側は本館校舎)

概要紹介
 名称:福重小学校・プール竣工記念碑<ふくしげしょうがっこう ぷーる しゅんこう きねんひ>

(写真3) 福重小学校・プール竣工記念碑(全景)

 所在地:大村市 福重町 福重小学校(本館校舎の北西側)
 建立年月日:1969(昭和44)年4月19日(注:この年月日は竣工式開催の日である)
 建立者:(福重小学校)プール建設委員会
 大きさ:記念碑本体は高さ60cm、横幅75.5cm、奥行25cm、周囲2m1cm(土台や石垣の大きさは後の項目を参照)
 石材:加工石
 碑文:正面の太文字
には「プール竣工記念」と彫ってある(他の文字は後の項目を参照)

 このプール建設記念碑は、上記データ通り工事の竣工に合わせて建立されたものです。下記項目(碑文内容)に詳細書いていますが、このプール建設費は全体の半分が地元負担(残りは大村市)という多額のご厚志(こうし)によってまかなわれています。

 また、プルー建設の要因は、1961(昭和36)年7月に発生した児童の溺死(できし)事故に起因しています。あと、プール用の水源確保(ボーリング作業)や、付帯設備含めたプール敷地用の周辺用地の買収なども、地元によって建設前に進められていたことなどが、碑文に書いてあります。

<写真説明>
 (写真1)=福重小学校プール竣工記念碑本体の頭部のみである。(黄色文字はCG加工)

 (写真2)=(2015年11月10日撮影の)福重小学校プール
の航空写真で、ほぼ全景である。プール右側(東側)が本館校舎で、同じく下側(南側)が体育館である。 この写真は、冊子「福重のあゆみ<小学生版>の付録「福重地区と福重小学校紹介(リーフレットA面」(福重地区町内会長会、2015年12月1日発行)の写真よりトリミングしたものである。

 (写真3)=福重小学校・プール竣工記念碑の全景写真である。
写真左側(西側)が補助プールや機械室があり、奥側(北側)に本プールがある。同じく右側(東側)に本館校舎がある。

1)記念碑の大きさ、緯度経度など
  福重小学校・プール竣工記念碑大きさ緯度経度など
は、下記の二つの表通りです。その竣工記念碑の場所は、(写真2)の右側に写っています本館校舎と体育館との渡り廊下近くで、その中間部の北側周辺にあります。また、この位置は、(写真3)の左端側にあるプール入口右側(東側)で、金網の脇でもあります。

 なお、石垣の大きさで、金網や縁石が邪魔になり計測しにくい西側の辺は、他の辺と同数値で換算しています。あと、緯度経度は、実測値通りです。以上、記念碑の大きさ、緯度経度などを二つの表に分けて、下段に書いています。

福重小学校・プール竣工記念碑の大きさ

 全体  高さ:約174cm  -  -  -
 本体  高さ:60cm  横幅:75.5cm  奥行:25cm  周囲:201cm
 土台  高さ:27.5cm  横幅:91cm  奥行き:74.5cm  周囲:331cm
 石垣  高さ:86cm  横幅:130cm  奥行き:130cm  周囲:520cm

福重小学校・プール竣工記念碑の緯度経度(GPS実測値)
 名称:福重小学校・プール竣工記念碑  場所:大村市 福重町 福重小学校
 GPS実測値:北緯32度57分57.19秒 東経129度56分59.44秒  (国土地理院)地図検索用 32度57分57.19秒 129度56分59.44秒
 グーグルアース用数値:32°57'57.19"N,129°56'59.44"E  標高:GPS高度計は5m、気圧高度計は16m、地図上の標高は5.5m

2)碑文内容について
  このプール竣工記念碑には、合計6面に碑文が彫られています。その内訳は、本体の表と裏面(南と北側面)の2面、そして土台の東西南北の4面です。本来ならば記念碑本体の正面の上側から順番に紹介すべきと思っています。しかし、このページのレイアウト上から、順不同で列記ししていきます。

 既に(写真1)で紹介しています本体の正面の黄色文字は、CG加工です。あとの面は、全て拓本写真を掲載しています。記念碑の名称、建立年、建立目的や経過、建設費用、寄付金など面は、写真だけでなく横書きの活字に直して書いています。ただし、建設委員会の氏名碑文の2面は、拓本写真のみの紹介です。
念のため、(写真4)の下部画像(縦書きの活字文)は、その上記拓本を、ほぼそのまま活字化したものです。

(写真1) プール竣工記念碑(本体正面、黄色文字はCG加工)
(写真4) プール建設経過などの碑文(本体裏面、拓本写真)

プール竣工記念

昭和44年4月



 <プール建設経過などの碑文を横書きに変えて見やすくした文(漢数字、片仮名、改行などを変えている)>
 昭和36年7月児童の溺死事故発生し育友会を中心としてプール建設の具体策について検討する 40年11月プール建設委員会が発足し建設資金と水源を重要議題として研究協議を行う

 42年9月 福重地区遺族会より多額の寄付申し込みあり 40年の植林管理組合よりの寄付金とともに建設資金にあてる 11月校地内のボーリングにより水源を発見する 43年3月市議会にてプール建設が予算化され そのあと敷地を買収する 

 市直営の本体工事は高瀬組 浄化装置は熊綱商事が請負い10月26日起工式が行われる 地元工事として44年1月付帯施設を高瀬組 2月補助プールを増元弥熊氏と契約する 4月19日竣工式を挙行する


(上記の補足)
 1,福重地区遺族会は現在もあり、3年ごとに今富町の大神宮境内で戦没者慰霊祭を主催されている。
 2, 植林管理組合は推測ながら旧・福重村の村有林を継承管理した組合であろう。(現在の神社総代会か?)
 3,「敷地を買収」とあるので、この時、学校周辺部あった農地をプール用敷地として、
新たに購入があったと思われる。

(写真5) (土台正面=南側面、上から2番目の碑文) プール竣工記念碑、寄付者の碑文(拓本写真で一部分をCG加工)
寄 付 者
   福重地区遺族会         一金  四百万円也
(400万円)
      仝元植林管理組合
(注)        一金  参拾壱万弐千円也(31万2千円)
(注:「」はの古字で同上記号である。福重地区元植林管理組合は旧・福重村の村有林を継承管理した組合であろう。現在の神社総代会か?)

(写真6) (土台の右側面=東側面の碑文) プール竣工記念碑、建設費の碑文(拓本写真で文字部分は全てCG加工)
(注:上記の碑文は分かりやすいので補足などは省略)

(写真7) (土台の左側面=西側面の碑文) プール竣工記念碑、建設委員の碑文 その1 (拓本写真)
(注:上記の碑文は分かりやすいので補足などは省略)

(写真8) (土台の裏面=北側面の碑文) プール竣工記念碑、建設委員の碑文 その2 (拓本写真)
(注:上記の碑文は分かりやすいので補足などは省略) 補足:制作の中田氏は現在の「中田石碑店」(皆同町)である。

碑文拓本写真の補足説明:上記(写真4)〜(写真6)は、2017年7月27日に拓本作業をおこない、その直後に撮影したものです。 (写真7)〜(写真8)は、前と同様8月23日のものです。 (写真6)=プール建設費の碑文(白文字)は、見やすくするために全文をCG加工しました。他の写真は、ほぼ拓本のままでトリミング、彩度やコントラスト調整をした程度です。

 墨色(本来は黒色)が青っぽく見ていますのは、主に太陽光線と撮影場所違いなどの関係からです。念のため、(写真6)などの
CG加工と言っても、この場合、文字色を白色にしているだけで、文字の形状は当然変えていません。

3)プール敷地の広さなど
 福重小学校・プール敷地の東西南北間の距離(広さ、大きさ)などは、実測していません。そのため、正確さに欠けますが上野の目測による数値では、下表通りです。なお、下記は、プールのある敷地全体、本プール、補助プールなどに分けて表記しています。
あと、プール敷地内には、例えば機械室、その他あるようですが、これらの数値や説明は省略しています。

福重小学校・プール(敷地など)の広さ(注:目測数値)

 (1)敷地全体 南北 約30m 東西 約35m
 (2)本プール 横幅 約25m 縦  約12m(長さ25mの6コース)
 (3)補助プー 横幅 約7.5m 縦  約3.5m
(写真2) プール全景(航空写真、右側は本館校舎)
(写真9) 学校全景(プールは写真上部やや右側)

4)感想
  記念碑や石碑類の紹介ページには、あまり個人的な感想は書いていません。しかし、このプールや、その記念碑のある敷地は、私の母校(ただし、建設当時は卒業して郡中学校時代でした)でもあるので、けっこう良く覚えています。その関係上、今回は少し感想も書いておきたいと思います。主には、次の(1)(2)(3)の事柄です。

(1)記念碑そのものについて
 (写真3)の通り、記念碑の本体、土台、石垣などは、シンプルな造りです。しかし、全体見やすく、分かりやすいものです。特に、「2)碑文内容について」の「プール建設経過などの碑文」は、再度読んで頂くとお分かりの通り、全体約300文字で、建設に至る原因、途中経過・課題解決、工事会社、竣工年月日など、記念碑建立までの全ての内容が簡潔にまとまった文章です。改めて、大村市内に沢山ある、この種の碑文は、長くなるか、逆に短いか、どれも一長一短があり
ます。それらに対して、今回のプール建設経過などの碑文は、ある意味、各種記念碑のお手本になるくらい分かりやすいものと言えます。

(2)プール敷地と諸施設について
 竣工記念碑のテーマとは違いますが、今回色々と調べてみて表題の件で、他の大村市立の小学校対比も含めて、いくつか思うことがありました。市内全体で15校の小学校(6校の中学校)のプール敷地対比でも、福重小学校プールは、広い(最大に近い)だということです。さらに、他校にない、補助プールまであります。また、このプール水は、ボーリングで得た地下水ですので、水質も良いのではないでしょうか。

(写真3) 福重小学校・プール竣工記念碑(全景)

 さらに、このプール敷地は本館校舎、体育館やトイレの直ぐ近くで大変便利な場所です。他の小学校例では、プールが遠い所にあるため体育の授業時間にも影響あるとも聞きました。その意味からも、この場所を用地買収に骨折られた建設委委員各位のご努力が当時も今も光っていると感じました。

(3)プール建設の費用について
 先に紹介しました2)碑文内容について」の建設前の寄付金、工事費用などの項目にも書いています通り、福重地区の地元負担が本当に大きいことが良く分かります。今の貨幣価値と違いますので、金額が分かりずらいかもしれませんが、地元と大村市の負担割合(率)だけ見て頂けないでしょうか。改めて、当時の地元負担金の大きさが、良く分かる事例と言えます。

 当時あるいは、その後に開校した小学校全部が、こんな地元負担しながら体育(教育)時間に使うプール建設をしたのか、調査しきれませんでした。あと、プールは校舎より強固だとは思いますが、いずれ何十年後かには大修理や改築などもあろうかと思います。その時には、大きな地元負担にならないように今から準備などを行政は考えていく必要性もあろうかと、この記念碑の調査をしていて考えました。


5)補足とまとめ



(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)


(初回掲載日:2017年8月30日、第2次掲載日:9月1日、第3次掲載日:9月2日、第4次掲載日:10月4日、第5次掲載日:10月5日、第6次掲載日:10月7日、第7次掲載日:月 日)

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