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大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など 日岳虚空蔵大菩薩
 概要紹介
掲載中
 大きさと緯度経度 掲載中
 碑文 掲載中
 まとめ -
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。
掲載中
(写真1) 中央部:日岳虚空蔵大菩薩(左側:日岳の頂上部への道路とトイレ)

概要紹介
名称:日岳虚空蔵大菩薩(ひだけ こくぞう だいぼさつ)
石仏数:新・旧2体
本体部:2体とも自然石から加工したものと推測される
場所:大村市今村町(ご参考までに日岳の頂上部から南東側に100m程、下った所にある)
 ・関係ページとして「日岳(日岳公園)」紹介ページ
(写真2) 日岳虚空蔵大菩薩 

 用語解説:虚空蔵(こくぞう)とは、広辞苑を引用すると「虚空のように広大無辺の福徳・智慧を蔵して、衆生しゅじょうの諸願を成就させるという菩薩。胎蔵界曼荼羅虚空蔵院の主尊で、そこでは蓮華座に坐し、五仏宝冠を頂き、福徳の如意宝珠、智慧の宝剣を持つ。求聞持法ぐもんじほうの本尊。虚空孕こくうよう菩薩。虚空蔵菩薩
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 注意1:この石仏2体について、(2022年12月現在で)上野は外側から目視、目測、写真撮影程度で詳細な調査をした訳でない。そのため、下記内容に誤記もある可能性がある。そのことが分かれば改訂もしたいので、その点はあらかじめ、ご了承の上、参考程度に閲覧願いたい。

 注意2:2体の石仏の内、お堂の奥に向かって左側が何らかの理由により、二つに割れている。ただし、上野の推測ながら、この左側の方が右側より古く見えていて、江戸時代の(大村)郷村記に記述さている普賢菩薩と思われる。右側は建立当時そのままに姿形が良く、左側より新しく見えている。

 注意3:上記より、今回は先の(大村)郷村記に記述されている右側の古い石仏(普賢菩薩)を中心に、このページでは書いている。
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(写真3) 2体の日岳虚空蔵大菩薩
石祠内に左右2体の石仏。最奥左側の石板は石祠の側面石か?
(写真3) 2体の日岳虚空蔵大菩薩
推測ながら左側が古く、右側が新しく見える
 (写真4) 中央部はお堂の建設記念
(寄付者や建設年月日などが書いてある)
 (写真5) 中央部が古い虚空蔵菩薩と思われる
(写真3) 右側が新しい虚空蔵菩薩と思われ
 (上記の注意1に沿って) 左側の古い石仏(普賢菩薩)は、江戸時代の(大村)郷村記によれば、寛政12年(1800)に鈴田村の山伏大乗院によって建立されている。ご参考までに、「山伏大乗院」は、鈴田村(鈴田地区)の地主大明神鈴田大神宮の前身である古松権現とも関係がある。なぜ、2体あるかについては、古い方が注意2の通り割れたので、右側の石仏(普賢菩薩)が新たに建立したと考えられる。

 現在地は、大村市(鈴田地区の)今村町である。しかし、先の郷村記に記述されている村は、当時の三浦村(現在の三浦地区)である。(ご参考までに、この日岳の頂上域の南東側は、今村町と日泊町の境界で、境界杭を確認しないと分かりづらい所でもある) そのため、もしかしたら建立当初(1800年)は、現在地と違う場所だった可能性もある。例えば日岳頂上部などもありうると思われる。

 祀っておられるのは、江戸時代も現在も今村町の硯出石の方々である。なお、お堂の正面(前面)に御幕(横幕)が奉納されているが、その文字には「平成十六年四月吉日 硯出石町内会」と刷り込んである。また、お堂内の右上部の建設時の協力者や寄付者名の書いてある板(写真4を参照) には「(前略) 協力者 硯出石町内会 (中略) 平成16年4月10日 (後略)」と、硯出石町内会」の名前が書いてある。

 全くの目測ながら2体の石仏の大きさは、古い(左側)方の石全体で高さ約70、横幅50cm位で、新しい方(右側)が仏像そのままで高さ約60、横幅約40cm位である。あと、古い(左側)石仏の、さらに左側に長方形の石板みたいなものがある。(写真3の左側を参照) その大きさも石材も、先の古い石仏と、ほぼ同じように見えている。

 この石板のようなものは、推測ながら石祠
(せきし、いしのほこら)の左右いずれかの側面石ではないだろうか。また、石祠の屋根部もあるが、これは古いか、新しいか判断しにくい。いずれにしても、先の石仏が彫られているのは、元々は石祠の奥の面ではないだろうか。通常、石祠は正面が両開き(観音開きの扉)、両側面、奥面と屋根部の造りが多いので、その内の一部が現在置かれているのだろう。
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大きさと緯度経度
 注意:大きさは、お堂の外から目視(目測)のため正確ではない。そのため、下記は参考程度に願う。(写真3、5を参照)

・古い(左側)方の仏像を含む石全体で、高さ約70cm横幅約50cm
新しい方(右側)仏像そのままで高さ約60cm横幅約40cmである。
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・緯度経度:北緯32度52分12.88秒 東経129度59分40.35秒、国土地理院の地図

碑文
 注:碑文についても詳細調査は実施していない。そのため、目視ながら碑文などは、正面の石仏面下部や両側面などに見当たらないようだ。ただし、もしかしたら、裏面などにあるのかもしれないので断定的的には言わない。
また、石祠の両側面や裏面は、お堂の外側からは視認できないので碑文の有無は、不明である。


大村郷村記内容について
 上記の「碑文」項目の通り、黙しながらも石仏などには碑文は、内容だ。そのこともあり、江戸時代に大村藩が編纂した「郷村記」に日岳の虚空蔵菩薩が記述されている。その復刻版
(活字版)大村郷村記、三浦村、寺社之事(351ページ下段)に、次の太文字が記述されている。

 なお、分かりやすくするため難しい漢字は全て変え、改行その他も変更している。そのようなことから下記は、あくまでも参考程度に閲覧され、もしも、引用・参照されるならば必ず原本からして下さい。
日岳 
一 虚空蔵 神体石坐像 例祭三月 八月十三日 観音寺勧請 鈴田•三浦両村ヨリ祭之
  石祠 
  境内四間方、五尺廻以下 松木数本有り
  当社ハ寛政十二年庚申年鈴田村山伏大乗院建立

(写真5) 道路側から見た日岳虚空蔵大菩薩

現代語訳
上記の大村郷村記を現代風に口語訳すると次の
< >内の文字通りと思われる。( )内は、上野の補足や送り仮名などである。念のため、正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の訳なので間違いあるかもしれないので、ご注意願いたい。

< 日岳(頂上部の所) 一つ 虚空蔵(菩薩)がある。
 例祭は(毎年)3月と8月13日おこなわれ観音寺が勧請(社務)している。 (この虚空蔵菩薩は)鈴田・三浦の両村で、ここを祭っている。 石祠がある。 境内は約7メートル四方である。(幹の)回りは150センチ以下の松の木が(境内に)数本ある。 当社(虚空蔵菩薩)は寛政12庚申
(かのえさる、こうきんのさる、こうしん)(西暦1800年)に鈴田村の山伏大乗院が建立した。>

まとめ


 (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)


関係ページ:「日岳(日岳公園)

初回掲載日:2022年12月16日、第2次掲載日:12月28日、第3次掲載日:12月31日、第4次掲載日:9月 日、第5次掲載日: 月 日)

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