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大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など (松尾神社の)元権現の石祠
 概要紹介
掲載中
 石祠の大きさ
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 石祠と碑文の評価
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 ・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。
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松松尾神社元権現の石祠(209年2月以前の状態)

概要紹介
 
(松尾神社の)元権現の石祠(せきし)
は、大村市草場町にある松尾)神社(まつのお じんじゃ)境内の南東側にあります。石祠の建立年は、大正7(1918)年です。建立者は、当時の草場郷(現在の草場町)の人たちです。基礎部分含めた全体の大きさは、高さ118cm、横幅68cm、奥行55cmです。

 現在は、社(やしろ)の中にありますが、209年2月5日に社が完成する前までは、この石祠の左側(北西側)にある「草場の二体仏」とともに長らく露天状態でした。(この工事や新旧の状態写真などは「2009年 旧・松尾神社の社(やしろ)」紹介ページをご覧下さい)

 この石祠のある松尾)神社は、(大村)郷村記によりますと、江戸時代まで松尾権現と呼ばれていました。また、その概要は明治維新以降も含めて、『福重のあゆみ』(執筆者:増元義雄氏)に、次の<>内通り書いてあります。

 <松尾権現として1548年、純前が現在地の北の高い丘に建てたとされます。この神社もキリシタンに破壊され、1670年に草場郷の鎮守として現在地に再建されました。明治の初めに「松尾神社」と改め、大神宮とともに福重の氏神となり、大神宮と1年交代で宮日を行っています。>

 このような歴史などから、現在でも草場町などの氏子の人たちは、松尾神社へお参りされる場合、「まずは元権現の方へ行って拝んでから行く」と言っておられます。あと、何故同じ場所(境内)に、二つのご神体があるのか、詳細を知る人は、地元でもおられないようです。(ご参考までに、この件は現在も調査中で判明しだい追加、改訂をする予定)


石祠の大きさ
 松尾神社、元権現の石祠の大きさは、下表の通りです。この大きさは、市内に沢山ある他の石祠対比で標準的なサイズか、やや小さめと思われます。

松尾神社、元権現の石祠の大きさ
 石祠全体  高さ:118cm(下記の高さ含む)  横幅:68cm  奥行:55cm
 基礎部分  高さ:30cm  横幅:60cm  周囲:55cm
元権現の石祠のある社(やしろ)、(209年2月以降)
拓本を参考に活字化(石祠の右側面(南東側)

 また、石祠の造りも市内に沢山ある形式(様式)<例えば、入母屋(いりもや)造り、寄棟(よせむね)造り>と、ほぼ同種のものです。209年2月5日に社(やしろ)が完成する前まで、露天状態(右側1番目写真)でした。現在は、右側2番目写真の通りです。この石祠の右側面(南東側)に、下記項目の碑文が彫ってあります。

 あと、神社の方角(向き)のことについて、私は詳細に分かっていませんが、この元権現の石祠も、現在の松尾)神社本殿・拝殿も、両方同じ西南西の向きで建っています。福重・松原・竹松地区にある神社の向きも、当然全部ではありませんが、この同じ方角や南側方向に向いた建物が多い状況です。これは、昔からある(事柄や内容の是非は別としても)「家は南向きが良い」と似たような考えから造られたものと思えます。

石祠の碑文と評価
 この石祠の右側面(南東側)に、大小4行の碑文があります。中央部の太文字は、肉眼でも見えていました。しかし、残りの3行は視認しずらく、結局2009年1月16日に拓本作業をしました。

 その結果を活字化したのが、右側3番目の画像です。さらに、ホームページ用に横書きに直しますと、次の「 」内の太文字通りです。

 「 草場郷中 建立  松尾宮  大正七年 旧九月廿八日 

 これは、現代語訳するまでもなく、意味の分かりやすい碑文ですが、念のため、( )内の補足含めて口語訳しますと、次の<>内通りと思われます。<松尾宮(の石祠を) 草場郷中(町内)で、大正7(1918)年、旧9月28日に建立した>

 この松尾宮(まつのおぐう)の表記は、明らかに神社の呼称です。ご神体の建立年は不明ですが、この石祠自体は、権現という呼び名ではなく、松尾)神社(まつのお じんじゃ)石祠として建立されたものと言えます。

二つあるご神体の意味は

 先の概要紹介にも書いていますが、松尾)神社(まつのお じんじゃ)には、現在の神社と、元権現の二つのご神体があります。ただし、この由来の詳細を知る人は、地元でもおられないようです。この点を、この項目では推測含めて書きますので、その部分はあらかじめご了承の上、ご覧願います。

 今回の紹介中の元権現の石祠から西側方向8m位の所に、円柱系の記念碑があります。ここにある碑文の大きな文字には、「松尾神社々寄附金芳名碑」とあり、この記念碑には、大正13(1924)年の建設と彫ってあるようです。このことから想像して、社殿建設費用を集めるには、いくら早くても数年はかかります。

 そのようなことから普通に考えれば、元権現の石祠建立年=大正7(1918)年と、社殿建設年=大正13(1924)年とは、そう大きな年代差はないようです。あと、この石祠と社殿建設との関係から見れば、この当時は、松尾宮(まつのおぐう)と彫られた石祠は、社殿建設時に使われていた可能性も全否定できません。そして、何十年後か、次の本格的な社殿改築後に現在のような二つのご神体がある状態になった可能性もあります。

 先の説が正しいのか、あるいは明治時代頃から既に二つのご神体があって、石祠だけを大正7(1918)年に新たに造った説もありうるとも思えます。この説も、この松尾)神社の経過からすtれば、自然な考えと言えます。いずれにしても、現在の松尾)神社と通称:元権現
と、二つのご神体が祀られていることは事実です。

関係ページ:
松尾)神社(まつのお じんじゃ) 、「2009年 旧・松尾神社の社(やしろ)」紹介  、 (大村)郷村記

(初回掲
載日:2014年9月20日、第2次掲載日:9月21日、第3次掲載日:9月24日)

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