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大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など 本蔵権現の石祠
 概要紹介
掲載中
 1)碑文内容について
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 2)石祠の大きさ、緯度経度など
掲載中
   緯度経度など
掲載中
 3)大村郷村記の内容
掲載中
   大村郷村記
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   ・現代語訳
掲載中
 まとめ
準備中
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。
掲載中

(野田町にある)本蔵権現の石祠(左側面に碑文がある)

概要紹介
 大村市野田町には、地元の氏神(守り神様)として、本蔵権現(もとくらごんげん)があります。その境内(けいだい)の一段高い所に、今回紹介します石祠が、鎮座(ちんざ)しています。(右側写真参照)

 本蔵権現の拝殿が上野の推定ながら築70年以上のため、傷みが激しく、2017年中に建替えられます。そのこともきっかけとなり、11月1日に石祠の碑文の拓本作業と調査をしました。最初、碑文は肉眼で視認できませんでしたが、先の作業結果で、(大村)郷村記の記述通り、この石祠は江戸時代の「文化五年(1808)の建立」でした。

 あと、先の郷村記には、江戸時代(当時)、池田山宝円寺に来てもらって祭っていたと書いてあります。そして、この碑文にも同様に、同寺の住職名が彫られていました。また、この碑文には、石祠建立のため寄付や世話をした人達の氏名などもありました。(拓本や調査の詳細報告は、下段の写真や活字版を参照)

  ご参考までに、1953(昭和28)年、現在の野田(町)公民館が出来るまで、この本蔵権現で町内会など各種会合が開催されていました。そのため、戦前の拝殿は、その会合ができるように現在より倍近く大きかったと伝えられています。ただし、上野は正確な建築年不明ながら戦後にできた現在の拝殿も、奥行・横幅とも7mは充分あり、数十人の会議も可能です。

 しかし、今回の建て替え(2017年12月に完成予定)の拝殿は、もうそのような広さは必要性がないので、現在の大きさより、かなり小さなものになるようです。(この項目は2017年11月3日に掲載。拝殿の建て替え後、新たな写真も掲載予定)

1)碑文内容について
 右表の右側が本蔵権現の石祠の碑文拓本です。そして、左側が、その活字版です。ただし、活字最初の「供養」の「養」文字は、異体文字のため、同じ意味の漢字に変えています。拓本をご覧の通り、実物の碑文は、縦書きです。下記の青文字は、ホームページ用に横書き直して、さらに一部改行、空白(スペース)なども変えています。

<右側の活字版>
<本蔵権現の石祠碑文の拓本>

供養導師宝圓寺十世寛澄法師
奉 寄 進
文化五戊辰天十一月吉祥日
      頭人 淵勘右衛門
          山口吉左衛門
            重右衛門
              仙三良
              八次良
             総氏子中

 
・現代語訳
碑文を現代語訳しますと、次の「 」内の通りと思われます。なお、( )内は、送り仮名あるいは上野の補足や注釈です。念のため、あくまでも素人訳ですので、参考程度にご覧願います。

 「 (本蔵大権現へ)奉って(たてまつって)(石祠を)寄進する。 供養導師(注1)は宝圓寺(注2)第十代
の寛澄法師である。(石祠の建立年月日は)文化五戊辰(つちのえたつ、ぼしん)年(1808)十一月吉祥日(注3)である。

 (建立に当たっての寄付者世話役の)頭(かしら)は、淵勘右衛門(注4)である。(寄付者は)山口吉左衛門(注4)、重右衛門、仙三良、八次良と、(野田郷内の)全ての氏子(うじこ)である。 

 (注1)この場合は、毎年の祭礼時あるいは石祠建立時に祭って下さった僧侶という意味であろう。
 (注2)江戸時代末期まで、池田山にあった宝圓寺(宝円寺)のことである。
 (注3)(国語辞典の大辞泉より)陰陽道(おんようどう)で、何事をするにも吉とする日。きっしょうにち。

 (注4)この場合、二人のフルネームは武士で、他は百姓であろう。

2)石祠の大きさ、緯度経度など
  本蔵権現の石祠大きさ緯度経度などは、下記二つの表通りです。石祠の状況は、このページ最上部の写真を参照願います。なお、下表に階段のことを書いていますが、拝殿のある地面より、約2m強高い位置に石祠はあります。

あと、緯度経度の実測について、この石祠のある場所は、周囲が林に囲まれているため衛星電波の受信上、影響を受けていますが、ほぼ正確と言えます。

本蔵権現の石祠の大きさ

 全体  高さ:約2m10cm  -  -  -
 本体  高さ:125cm  横幅:112cm  奥行:112cm  周囲:cm
 土台1  高さ:24cm  横幅:91cm  奥行き:88cm  周囲:cm
 土台2  高さ:23cm  横幅:128cm  奥行き:125cm  周囲:cm
 土台3  高さ:35cm  横幅:180cm  奥行き:177cm  周囲:cm
 階段  地面から6段あり      

本蔵権現の石祠の緯度経度(GPS実測値)
 名称:本蔵権現の石祠  場所:大村市 野田町 本蔵権現
 GPS実測値:北緯32度57分36.35秒 東経129度58分07.62秒  (国土地理院)地図検索用 
 グーグルアース用数値:32°57'36.35"N,129°58'07.62"E  標高:GPS高度計は97m、気圧高度計は76m、地図上の標高は104m

3)大村郷村記の内容
 この項目の大村郷村記は、既に
本蔵権現(野田町)ページに、全文を紹介中です。その全文を知りたい方は、先のリンク先ページから参照願います。このページは、本蔵権現石祠紹介ですので、大村郷村記内容も、関係ある部分と、石祠については下記の太文字で表記しています。

(上部が)本蔵権現の石祠

 また、郷村記の現代語訳は、下段の青文字の通りで、石祠部分は太文字で書いています。( )内は、上野の補足、注釈などです。なお、大村郷村記の原文は、縦書きの続き文ですが、下記は横書きに直しています。

 
念のため、できるだけ原文は生かしたいのですが、ホームページ表記できない文字もあるため、それらと同じような漢字に上野の方で変換しています。 また、見やすくするため、空白や改行も変えています。引用、参照される方は、必ず大村郷村記の原本から、お願いします。

・大村郷村記の関係部分
 (前文は省略)
 当社は元佐奈河内にあり 此処村より隔リ諸事不勝手なるゆへ 万治元年戌年九月此地に奉還座開眼導師観音寺法印寛盛 享保四巳亥年拝殿一宇再建安永二巳年再建 文化五戊辰年九月石祠に建立 

・現代語訳
 当社(野田の本蔵権現)は、元(の位置は立福寺の)佐奈河内にあったが、この村より遠く、色々な行事をするため不便なため、万治元年(1658年)九月この地に移した。享保四年(1719年)、拝殿を1回再建し、さらに安永二年(1773年)にも再建した。文化五年(1808年)には、石祠を建立した。

 上記の大村郷村記(現代語訳)と、先の項目「
1)碑文内容について」は、この石祠の碑文建立年について一致しています。ただし、石祠に彫ってある月日(十一月吉祥日)は、大村郷村記に記述されていません。

まとめ
 
(この原稿は、現在、準備中。しばらく、お待ちください)


・関係ページ:本蔵権現(野田町)
    、 
(初回掲
載日:2017年11月3日、第二次掲載日:11月9日、第三次掲載日:11月10日、第四次掲載日:11月17日、第五次掲載日: 月 日、第六次掲載日: 月 日、第七次掲載日: 月 日)

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