2)石祠の大きさ、緯度経度など
本蔵権現の石祠の大きさと緯度経度などは、下記二つの表通りです。石祠の状況は、このページ最上部の写真を参照願います。なお、下表に階段のことを書いていますが、拝殿のある地面より、約2m強高い位置に石祠はあります。
あと、緯度経度の実測について、この石祠のある場所は、周囲が林に囲まれているため衛星電波の受信上、影響を受けていますが、ほぼ正確と言えます。
本蔵権現の石祠の大きさ
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全体 |
高さ:約2m10cm |
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本体 |
高さ:125cm |
横幅:112cm |
奥行:112cm |
周囲:cm |
土台1 |
高さ:24cm |
横幅:91cm |
奥行き:88cm |
周囲:cm |
土台2 |
高さ:23cm |
横幅:128cm |
奥行き:125cm |
周囲:cm |
土台3 |
高さ:35cm |
横幅:180cm |
奥行き:177cm |
周囲:cm |
階段 |
地面から6段あり |
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本蔵権現の石祠の緯度経度(GPS実測値)
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名称:本蔵権現の石祠 |
場所:大村市 野田町 本蔵権現 |
GPS実測値:北緯32度57分36.35秒 東経129度58分07.62秒 |
(国土地理院)地図検索用 |
グーグルアース用数値:32°57'36.35"N,129°58'07.62"E |
標高:GPS高度計は97m、気圧高度計は76m、地図上の標高は104m |
3)大村郷村記の内容
この項目の大村郷村記は、既に「本蔵権現(野田町)」ページに、全文を紹介中です。その全文を知りたい方は、先のリンク先ページから参照願います。このページは、本蔵権現の石祠紹介ですので、大村郷村記内容も、関係ある部分と、石祠については下記の太文字で表記しています。
また、郷村記の現代語訳は、下段の青文字の通りで、石祠部分は太文字で書いています。( )内は、上野の補足、注釈などです。なお、大村郷村記の原文は、縦書きの続き文ですが、下記は横書きに直しています。
念のため、できるだけ原文は生かしたいのですが、ホームページ表記できない文字もあるため、それらと同じような漢字に上野の方で変換しています。 また、見やすくするため、空白や改行も変えています。引用、参照される方は、必ず大村郷村記の原本から、お願いします。
・大村郷村記の関係部分
(前文は省略) 当社は元佐奈河内にあり 此処村より隔リ諸事不勝手なるゆへ 万治元年戌年九月此地に奉還座開眼導師観音寺法印寛盛 享保四巳亥年拝殿一宇再建安永二巳年再建 文化五戊辰年九月石祠に建立
・現代語訳
当社(野田の本蔵権現)は、元(の位置は立福寺の)佐奈河内にあったが、この村より遠く、色々な行事をするため不便なため、万治元年(1658年)九月この地に移した。享保四年(1719年)、拝殿を1回再建し、さらに安永二年(1773年)にも再建した。文化五年(1808年)には、石祠を建立した。
上記の大村郷村記(現代語訳)と、先の項目「1)碑文内容について」は、この石祠の碑文の建立年について一致しています。ただし、石祠に彫ってある月日(十一月吉祥日)は、大村郷村記に記述されていません。
まとめ
(この原稿は、現在、準備中。しばらく、お待ちください)
・関係ページ:「本蔵権現(野田町)」
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(初回掲載日:2017年11月3日、第二次掲載日:11月9日、第三次掲載日:11月10日、第四次掲載日:11月17日、第五次掲載日: 月 日、第六次掲載日: 月 日、第七次掲載日: 月 日) |