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大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など
(大村市)非核・平和都市宣言の碑
 - 掲載中
 概要紹介 掲載中
 1)碑文内容について -
 2)大きさ、緯度経度など
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   緯度経度など
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 3)------
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 まとめ
準備中
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。
掲載中
(写真1) 中央部:(大村市)非核・平和都市宣言の碑
大村市森園町、森園公園内ある
(右奥側方向は長崎空港)
(写真2)上部が日本語
下部が英語
 (写真3)
標示板
 注1:このの正式名称は、(写真3、4)の標示名通り、「非核・平和都市宣言の碑」である。ただし、このページに何故、あえて頭に(大村市)を付けているのか? それは、この種の碑やモニュメントが全国の自治体でも沢山あるので、ホームページ上、間違わないようにするためだ。

 注2:同種の碑の補足として、大村市や市内各地域の区別は直ぐ分かるし、碑文名称も内容も違うが、例えば松原八幡神社境内には、「恒久平和之碑もある。他の地域にも同種の碑があるかもしれないが、いずれも平和の願いを込められているのは、同じであろう。

 
(写真4) (大村市)「非核・平和都市宣言の碑」の標示石
 
  (写真5) 碑の裏側(大村湾側)から撮影 

概要紹介
 この碑は、1996(平成8)年8月12日に除幕式(建立)をされた。ただし、この完成に至るまでには、いくつか経過がある。それは、「大村市 広報誌 平成7年9月号」の4ページから引用、参照すると、その概要は、次の通りである。

 この碑の完成1年前=1995(平成7)年は、太平洋戦争終結50周年だった。戦争の惨禍を再び繰り返さないように大村市は、すみやかなる核兵器廃絶と恒久平和、さらには子孫に伝えるため非核・平和都市宣言を進めておられた。同年3月の市議会で、請願が全会一致で採択された。

 そして、市は文案の起草員会で討論し、同年7月25日、甲斐田市長へ答申、1995
(平成7)年8月12日の臨時市議会で決議され、「非核・平和都市大村」が宣言された経過がある。

 この碑の姿形は、本ページ掲載写真通りで、一番上部に平和の象徴である
(ステンレス製)が羽ばたいて、大村市内や全国の空を飛翔している姿であろう。また、日本語、英語の碑文のある土台や先の鳩も含めて、高さは目測ながら約5メートルありそうだ。
  (宣言文や大きさなどは、下記項目を参照願いたい)

1)碑文内容について
(写真6) (大村市)「非核・平和都市宣言の碑文」の標示石
 

この写真は準備中

- 
・日本語の内容(以下の青文字通り)(写真6を参照)
 非核・平和都市宣言宣言
世界の恒久平和を守り、この美しく豊かな地球を子孫に引き継ぐことは、人類共通の願望であり、明るく平和で安全な郷土を築くことが、私たち大村市民に課せられた責務であります。

しかし、現在もなお核・軍備の拡張は依然として続けられ、世界の平和と人類の生存に大きな脅威をもたらしています。

わが国は、唯一の核被爆国であり、日本国憲法の精神からも広島・長崎の惨禍を絶対に繰り返させてはなりません。

私たち大村市民は、持たず、作らず、持ち込ませずの非核三原則の厳守に努め、核兵器のすみやかな廃絶と恒久平和を世界の人々に強く訴え、戦後50周年にあたり、ここに「非核・平和都市大村」を宣言します。
 平成7年8月15日
 大村市

 
・英語訳の内容(以下の通り)

 (この原稿は、現在、準備中。しばらく、お待ちください)



2)大きさ、緯度経度など
  


 (この原稿は、現在、準備中。しばらく、お待ちください)



補足
 
 (この原稿は、現在、準備中。しばらく、お待ちください)


・関係ページ:
    、 
(初回掲
載日:2023年3月5日、第二次掲載日:3月14日、第三次掲載日: 月 日、第四次掲載日: 月 日、第五次掲載日: 月 日、第六次掲載日: 月 日、第七次掲載日: 月 日)

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