大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など |
大村市民憲章の碑 |
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概要紹介 | 掲載中 |
1)碑文内容について | 掲載中 |
2)大きさ、緯度経度など | |
緯度経度など | |
感想 | |
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まとめ | |
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。 |
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注:この碑の正式名称は、「市民憲章」である。普通、書籍やホームページ類で記念碑などを紹介する場合、その市の名称や「碑」を付けるので、上野が補足して書いている。 <用語解説> ・憲章とは (下記「」内の青文字は、デジタル大辞泉の解説より) 「1) 重要で根本的なことを定めた取り決め。特に、基本的な方針や施策などをうたった宣言書や協約。「国連—」「児童—」 〈2)は省略〉」 ・市民憲章とは、(下記「」内の青文字は、埼玉県戸田市のサイト、「市民憲章とは」より) 「市民憲章とは 一つの自治体に住む住民が、互いに横のつながりをもって、良い生活を築こうという考えの表明が市民憲章です。市民として誇りを持ちみずから作った環境に責任を感じ、その文化遺産を尊重し、子孫に継承しようという市民の合意であると言ってよいでしょう。 (後略) 」
概要紹介
なお、本碑は縦書きですが、ホームページ上、全て横書きに直して表記しています。 あと、本碑に向かって左側(海側)に、別の脇碑のような記念碑があります。これの上面側にも碑文が彫られています。(写真3を参照) その表題は、市民憲章のおこりと彫られています。 |
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2)大きさ、緯度経度など
<上野の感想> 本碑そのものは、今から(2023年現在で)約51年前に大村市が建立したものです。市内に多くある記念碑類と、碑の造りは、似ていると思います。そのようなことから、このページに、何か特徴的な事柄を書くようなことはありません。今回は、市民憲章の碑文内容と現在の市内の関係状況などを、上野の感想を主に書いていきます。 市民憲章の意味は、上記の碑文内容、概要紹介、用語解説の通りです。それらを改めて極々簡略化すれば、「市民一人一人、協力しあって住みやすい、良い大村市にしましょう」との趣旨でしょう。本碑が建立されて既に50年以上が経ち、果たして大村市は、その趣旨通りになっているのでしょうか?
そのため、大村8地区(松原・福重・竹松・萱瀬・西大村・大村・鈴田・三浦地区)で毎年開催されている(市政全般の)地区別ミーティングで多くの人から、次の「」内などの意見もあります。「町内会にも加入しない、色々な町内の負担も地域活動もしない人がいる。それでいて何かあればメリットだけは受けたいというやり方は正しいのか? 同じ市民で不公平ではないのか?」などです。 また、「2020年7月6日の大村水害」で被害に遭われた福重地区のある町民から、次の「」内などを聞いたこともありました。「濁流が押し寄せて来て、皆で避難した。しばらくしてから町内会から被害者へ見舞金まで頂き、ありがたかった」と。災害時の地域での助け合いだけでない、市民(町民))同士の繋がりは、日常普段の積み重ねとも思われます。 私は、市民一人のできることは、何事でも限度限界があることも充分知っています。しかし、何か出来ることもあるのではないでしょうか。そう思いながら、この市民憲章などを調べてみました。 補足 (この原稿は、現在、準備中。しばらく、お待ちください) ・関係ページ:「(大村市)非核・平和都市宣言の碑」 (初回掲載日:2023年9月11日、第二次掲載日:9月14日、第三次掲載日:9月18日、第四次掲載日: 月 日、第五次掲載日9月21日、第六次掲載日:9月25日、第七次掲載日: 月 日) |
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