概要紹介
・名称:立福寺町(龍福寺跡)の薩摩塔<りふくじまち (りゅうふくじあと) の さつまとう>
・所在地:大村市 立福寺町 (通称「寺屋敷」と呼ばれている個人宅の敷地内)
・建立年代:13世紀頃
・大きさ:高さ21cm、横幅36cm、胴囲83cm (重さは不正確だが10kg強か?
・碑文:欠けていることもあるが、(上記写真部分には)文字などはない
・参考資料:鹿児島大学理学部紀要<日本における薩摩塔・碇石の石材と中国寧波産石材の岩石学的特徴に関する一考察>(PDFファイル)
立福寺町の町名(地名)の由来は、平安時代頃に創建された龍福寺(りゅうふくじ、寺領:33石)に由来している。その後、戦国時代の天正2(西暦1574)年、キリシタンによる他宗教弾圧事件(仏教僧侶の殺害、寺社や仏像の破壊・焼き討ちなどの攻撃)によって、龍福寺も破壊され、二度と再建されなかった。
九州に点在する40数基の薩摩塔は、13世紀頃に中国から輸入されたものと言われている。つまり、立福寺町(龍福寺跡)の薩摩塔は、何らかの方法(現代風に言えば「輸入商社」など)によって、中国と九州・大村(龍福寺)との間も交易があったことを物語っている。なお、薩摩塔は、長崎県内には平戸などにもあるが、大村市内では、2017年現在で立福寺町(龍福寺跡)の薩摩塔の一基だけと思われる。
--------(後半原稿は、準備中。 しばらく、お待ち下さい)---------
1)薩摩塔とは
(この原稿は、準備中。 しばらく、お待ち下さい)
2)石塔の特徴など
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3)補足
(この原稿は、準備中。 しばらく、お待ち下さい)
(初回掲載日:2017年4月7日、第2次掲載日: 月 日、第3次掲載日: 月 日、第4次掲載日: 月 日、第5次掲載日: 月 日、第6次掲載日: 月 日、第7次掲載日: 月 日)
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