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(写真4) 鈴田小学校の二宮金次郎像(2013年10月20日、南側から撮影)
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2)像について
まず、学校入口側(南側)から撮った右側写真を参照願います。像本体の高さ約90cmからして、そう大きくはありません。さらに、土台石や石垣が高いため(上記の左右写真参照)、つまり2メートル以上もある台座(石垣含む)に本体が乗っているため、運動場(地面)から見上げると、さらに小ぶりのような印象さえあります。(注:上野の手が届かない位置に頭部があるので、巻尺計測上やや正確な数値に難があることは、ご容赦願いたい)
次に、像の姿形や顔の表情などについて書きます。金次郎像の形は、負薪読書(ふしんどくしょ=背中に薪を背負い、手に本を広げて読んでいる。朝日日本歴史人物事典などを参照)の姿を現していていると、言われています。ただし、全国どこにでもある負薪読書の姿は、二宮金次郎(二宮尊徳)自体の史実にあったのか、どうか、今では疑問があるようです。
ご参考までに、この二宮金次郎の負薪読書姿は、一般には「背中に薪、たきぎを背負って仕事、歩きながらもも手にには本を広げ、片時も惜しんで一心に勉学に励んだ」ことを表現していると言われています。
顔の表情ですが、児童(少年)をイメージして造られたのか、幼くて、優しい雰囲気に仕上がっています。石像は、その造りそのものに難しさがあると思われます。しかし、この像の顔、頭部(毛髪)、背負い子(しょいこ)、薪(まき)、腕、手、本、足さらに衣類に至るまで、表現力が発揮されています。
あと、良く見ますと足の底部を盛ったり、また足もと衣類の間には、像が強固に保つように支えみたいな台やモルタルも施工されています。このため、長年経っても頑丈に立っているのでしょう。
先に掲載中の陶器製の福重小学校の二宮金次郎像に比べれば、スマートと言うよりは、石造りゆえに、この像本体は、全体がガッシリとした造りといえます。
3)碑文内容について
このページ掲載の(写真1、2)をご覧になれば、お分かりの通り、二宮金次郎像本体下部の土台石(上から1番目、2番目)に碑文があります。その土台石1と2の大きさなどは、先の項目の「1)像の大きさ、緯度経度など」に書いていますので、参照願います。
(写真5) 土台石1、2の碑文CG写真 |
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(注:横書きの活字版)
勤 勉
八十周年記念
寄贈
渡辺薫氏
昭和廿年二月五日
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この項目では、その碑文について、左表にCG写真含めてまとめてみました。ご参考までに、建立年月日が、昭和29(1954)年2月5日ですから、記念像や記念碑としては新しい方です。そのため、碑文が雨や風雪による欠損や傷みが少ないため、実物でも充分視認できます。
今回、(写真5)のように碑文をCG加工して掲載し、その下側にホームページ用に横書きに直して活字化もしています。分かりやすい文字ばかりなので、あえて口語訳などは不必要でしょうが、補足や西暦換算などもありますので、下記<>内の青文字で書いています。
< 勤勉 (鈴田小学校創立)80周年を記念して、渡辺薫氏が寄贈(建立)された。 (建立年月日は)昭和20年(1945)2月5日である。 >
・碑文の評価:
この碑文は目視でも、あるいはデジタル写真からCG加工する場合でも彫りが深くて鋭いのが、良く分かります。つまり、碑文の出来栄えが、素晴らしいです。この建立年の昭和20年(1945)は、まだ、機械彫りはなく、全て石工さんの手彫りだったと思われます。
特に、上段「勤勉」の大きい文字の彫りの深さは、目測で1cm前後あります。さらに、触れば今でも手が切れるのではと思う位、文字の一辺が鋭いです。しかも、一部において、二段彫りみたいに見える文字もあります。
あと、この碑文には揮毫(きごう)された方(この場合、碑文の書を毛筆された方)の文字も達筆(たっぴつ)で、力強く見やすい文字です。
4)補足
(この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)
・関係ページ:福重小学校の二宮金次郎像(陶像)
(初回掲載日:2017年11月11日、第2次掲載日:11月12日、第3次掲載日:11月15日、第4次掲載日:11月23日、第5次掲載日:11月 日) |