段の大日如来 |
写真1(正面=表面) |
写真2(裏面) | 所在地:大村市今富町 (熊野権現、鳥居の西側) |
この段の大日如来(だん の だいにちにょらい)は、今富町にある熊野権現(くまの ごんげん)の鳥居の左側(西側)約1.7mにあります。この大日如来は石像式ではなく、自然石に碑文だけが彫られている文字塔式です。 |
用語解説 大日如来とは、国語辞典の大辞泉によれば、次の「 」内の通りです。「真言密教の教主。宇宙の実相を仏格化した根本仏。像は宝冠をつけ結髪した菩薩(ぼさつ)形に表される。曼荼羅(まんだら)では主座を占め、智の面を示す金剛界では智拳印(ちけんいん)、理の面を示す胎蔵界では法界定印(ほっかいじょういん)を結ぶ。遍照如来。毘盧遮那。」 地域伝承などについて この大日如来の裏面碑文に建立者として「段郷中」(現代語訳:今富町の「段の町内会員で建立した」)となっています。また、建立年が昭和23(1948)年ですから、古い石仏が多い福重地区内あるものとしては、新しい方です。
特に、この大日如来は、ご神体として釈迦如来を祀ってある熊野権現(くまの ごんげん)と同じ境内にあるから、「なぜ、文字塔とはいえ、新たに大日如来を建立されたのかなあ?」との疑問もあったからです。しかし、建立当時の方々が既にいらっしゃらないことと、建立趣意書みたいな記録もないようなので、結局、上記二つの疑問は解消できませんでした。 ただし、私が推測するに、この段の大日如来は、草場町・松尾神社(まつのお じんじゃ)の階段横にある「草場の大日如来」(文字塔)に影響を与えたのではないかと思っています。なぜなら。先のリンク先ページ掲載中の写真でも、お分かりの通り両方とも文字塔で、碑文の文字も似ていて、大きさもほぼ同じ、さらに建立年の違いも6年違いしかないからです。(あくまでも私の想像ですが、石工は同じ人ではないでしょうか) 大きさ 段の大日如来(だん の だいにちにょらい)の造りは、(右上側写真の通り)上部から下部へ順番に書きますと、碑文の彫ってある本体、土台石、(最下部の大きな)土台石となっています。その大きさは、巻尺計測結果、下表の通りです。(計測の一部未実施部分は、いずれ計測して記入予定)
段の大日如来、本体の大きさは、同種同内容ならば大村市内にある石仏や石塔類と、そう大きくは変わらないものです。あと、「草場の大日如来(文字塔)<高さ:57cm 横幅:34cm 奥行:19cm 胴囲95cm>」と比べてみますと、ほぼ同じようなサイズです。 この似たような大きさや、下記項目の碑文内容からして、私の推測ながら、段の大日如来も、「草場の大日如来」も石工さんは同じ人ではないでしょうか。ただし、碑文に石工名が前者後者とも彫られていないので、断定はできませんが。
まず、右側の2枚の写真を参照願います。左側が正面(表面)、右側が裏面です。写真でもお分かりの通り、両面とも彫られた文字は、明確に見えていますので、今回、拓本作業はしませんでした。両面の碑文は、縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しますと、下記「」内の太文字通りです。 表面:「 大日如来 」 裏面:「 昭和二十三年一月十九日 」 建立 段郷中 」 ・口語訳 念のため、上記「 」内の太文字を口語訳しますと、次の<>内の青色太文字通りと、思われます。 < 大日如来を昭和23(1948)年1月19日に、段の郷民(町民)で建立した。 > ・感想など この碑文は、表面の「大日如来」の大文字、裏面の「建立年」などの中文字とも、スッキリと鮮明に見えています。なぜ、このような高評価になるかといいますと、石工さんの腕前が良いことは当然ながら、まだ建立が新しい年代であること、大村産出の石ながら良い石を使っていること、さらに、この大日如来が樹木の下にあるため少しでも風雪が防げていることなども保存状態の良さに繋がっていると推測されます。 CG写真 下記2枚の写真は、いずれも段の大日如来の碑文面をCGで彩色したものです。なお、この大日如来の表面(正面)の太文字部分には、濃い朱色で塗られているのが視認できます。あと、建立当時の石工さんは、手彫りでした。また、大村産出の自然石は、火山系の石が多いので、手で彫ると割れやすいです。 そのような状況下、下記写真のCG作業時パソコンで、より精密に繰り返し碑文を見ていますと、表面にある文字の彫りは切れ味鋭く、見やすい仕上げであることが分かります。。
補足説明 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) (初回掲載日:2021年1月8日、第2次掲載日:1月9日、第3次掲載日:1月11日、第4次掲載日:1月12日、第5次掲載日:2月3日) |
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