大きさ
草場の大日如来(くさば の だいにちにょらい)の造りは、(右下側写真の通り)上部から順番に書きますと、碑文の彫ってある本体、土台石、(最下部の)石垣となっています。その大きさは、巻尺計測結果、下表の通りです。
草場の大日如来の大きさ
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本体(自然石) |
高さ:57cm |
横幅:34cm |
奥行:19cm |
胴囲95cm |
土台石(自然石) |
14cm |
横幅:約50cm |
- |
胴囲138cm |
土台の石垣 |
高さ60cm |
横幅78cm |
奥行:73cm |
周囲314cm |
上表や右側写真をご覧になれば分かりますが、この種のものとしては大村市内で、多く見られる標準的なサイズと言えます。
碑文内容
まず、右側写真は通常時のものです。最上部の本体中央部にある「大日如来」は大きな文字ですので肉眼でも鮮明に見えています。しかし、その左側(西側)の小文字(建立年)は、苔などが付き一般には分かりずらい状態です。
そのようなことから、2014年9月18日に拓本作業をしました。その結果が、上記左側写真です。この拓本作業も含めて碑文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しますと、下記「」内の太文字通りです。
「 大日如来 昭和二十九年四月立 」
念のため、上記「 」内を口語訳しますと、次の<>内通りと思われます。<大日如来を昭和29(1954)年4月に立てた。>
なお、建立者名は碑文には彫ってありませんが、当時の草場郷(町)の方々と思われます。この内容と、ほぼ同様のことを地元の方から聞きました。ただし、なぜ、ここに大日如来が建立されたのかと言う詳細な理由は、地域伝承として残っていないようです。
(注:戦後に建立されたことですから、今後も聞き取り調査を進めて何か詳細理由が分かれば、このページは補足・改訂したいと考えています) (ページ最下段右側写真は表面の碑文をCG加工した画像)
補足説明
現在ならば神社の鳥居近くに大日如来があるのは、やや違和感を持たれる方もいらっしゃるかと思います。上記項目と重複しますが、この大日如来が、「何故この場所に建立されたのか?」について、地元の方にお聞きしたところ「左側(西側)の馬頭観音と関係あるのかも?」との返事がありました。
それ以外の詳細な説明は、不明のようでしだ。ただし、今富町、熊野権現の鳥居横にある段の馬頭観音脇にも、同じく文字塔式の大日如来があります。しかも、同じような自然石で、大きさもほぼ同じです。草場町、松尾神社の大日如来にも、鳥居を挟んだ反対側(西側)に、草場の馬頭観音(大正9=西暦1920年)があります。
この二つの例=「大日如来と馬頭観音が同じ所に鎮座している共通性」は、まるで両者が一対のようにも見えてきます。しかし、この二例を除き他の場所では、同様例を今まで私は見たことがありません。 本件の大日如来は、草場の馬頭観音よりも34年後に造られていますので、建立年の間隔が空き過ぎている感じもします。
ただし、もしかしたら今富町の「段の馬頭観音と大日如来」と同じ関係(趣旨)から、建立された可能性も全く否定も出来ないと思えます。私自身は、(2014年9月)現在まで、大日如来と馬頭観音との関係があるのか、ないのかも含めて分かっていませんので、今後も調査し、何か分かれば、このページも改訂したいと考えています。
あと、この草場の大日如来は、今富町にある「段の大日如来」と文字塔出ることを始め、造りも似ています。
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関係ページ:「松尾神社(まつのお じんじゃ)」(草場町) 「段の大日如来」(今富町)
(初回掲載日:2014年9月26日、第2次掲載日:9月27日、第3次掲載日:9月30日、第4次掲載日:2021年1月25日) |