大村空襲・戦災・戦争遺跡・記録など | 大村の海軍指揮所跡 |
もくじページへ戻る | |||||
(写真1) 1994年当時の第三五二海軍航空隊(草薙部隊) 文字の左側は隊舎(現在の大村市立郡中学校の敷地、沖田町) (出典:<2015年度 大村市立史料館特別展の冊子「軍都」大村の歩みと市民 ~回顧1896ー1945~>の6~7ページ掲載写真より複写。トリミングし、一部CG加工した) 補足:この写真と名称文字までの敷地は、ほぼ正確に表現されている。しかし、下記の「画像A」の四角の紫色部分で示してある「三五二空(草薙部隊」の敷地としては間違いである。この点の詳細は下記の左側欄を参照。 注:当然、この第352空の海軍航空隊にも指揮所はあった。 |
|||||
(写真2) (右側写真はグーグルアースより)黄色点線内は皆同砲台跡 中央部緑色の山林中、目測で南北(横幅)約160m、東西(縦)約70mの間に砲台施設((砲座、指揮所・電気・無線・弾薬庫・倉庫・炊事場・兵舎など)があった。この写真では極一部しか写っていない.。 注:当然、この皆同砲台にも指揮所はあった。 |
|||||
|
|||||
指揮や指揮所跡の用語解説
指揮(しき)=1 全体がまとまりをもって動くよう、人の上に立って指図をすること。「大会運営の—を執る」 2 合奏や合唱などの演奏を統率すること。「コーラスを—する」 陸海軍の組織状況と指揮について 上記の国語辞典も参考にして、陸海軍の組織状況や指揮についての詳細解説するには、小冊子ほどの文章量が必要である。このページでは、それは書ききれないので、省略して簡単に書いていきたい。 (1) 戦前の陸軍組織(階層、編成)の場合、例えば師団、旅団、連隊、大隊、中体、小隊、部隊、班あるいは臨時編成の派遣隊などもあった。 (2) 戦前の海軍組織は、例えば海上では、艦艇ごとに組織は分かれ、陸上でも様々な名称の組織があった。また、航空戦力の部隊については、番号で分けられてもいた。一例ながら大村での番号表記で有名なのは、第352海軍航空隊(通称「草薙部隊」)である。 上記の陸海軍の大小は別としても、ほぼ全部の組織に指揮官(将校、士官、下士官など)がいて、各所属に日常の軍務から戦時の作戦まで命令し、逆に報告を受けてもいた。その場所などが、通常「指揮所」と呼ばれていた。 大村の海軍指揮所跡について (この原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい) 軍事施設や指揮所があった影響は (この原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい) 補足 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) (初回掲載日:2024年2月8日、第2次掲載日:2月9日、第3次掲載日: 月 日、第4次掲載日:月 日) --------------------・・・--------------------・・・--------------------・・・ <古写真や資料提供のお願い> 戦前の写真、資料類は、極力収集に努めていますが、全て上野の一人作業のため、まだまだ、少ない状況です。どなたか、ご提供あれば掲載を考えますので、どうか、ご協力願います。(メールは、このページからお願いします) |
|||||
|