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2020年7月6日、大村水害(豪雨被害)  松原地区の水害写真と説明文など
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2020年7月6日、大村水害(豪雨被害) 松原地区の水害写真と説明文など
(写真1) 松原1丁目 (Fさん提供。写真2をトリミング)<撮影場所は変配川(注4)に掛かる寺本橋=国道34号線の上流数10m位置と推測。手前側は川周辺の田畑。濁流は左から右へ流れている。 中央奥は「大村湾カントリー倶楽部」の案内で、その右奥側は国道と「野岳入口」交差点>
(写真2) 松原1丁目 (この写真はFさん提供)<写真1参照>
中央部が本来の変配川と推測される。
(写真3) 2020年11月12日撮影の変配川流域 この写真は(写真1と2)と、ほぼ同じ場所から対比のために写した。 中央部を左から右に川は流れている。中央奥側に「大村湾カントリー倶楽部」の案内が見えている。7月6日の水害時は、写真1と2の通り、周辺の低地全域で濁流が流れた。

松原地区の水害写真と説明文など

 注1:既に掲載中の「2020年7月6日、福重地区の水害状況(写真と説明文)」と、「1957(昭和32)年 大村大水害<大村大水害を語り継ぐことも大切では(天災は忘れた頃にやってくる) ページも参照願う。

 注2:管理人の上野は、地元が福重地区なので松原地区は北隣である。しかし、福重地区の水害状況の写真撮影に要した日数と、その当時、松原地区の水害情報が入ってこなかった関係上、水害直後(7月など)に撮影に行っていなかった。他の地区の被害状況を掲載中、松原地区の水害状況写真も提供あったので、その写真や自らの撮影分も含めて掲載している

 注3:本ページ掲載の水害当日の写真は、全て松原地区在住の方からである。

 注4:変配川(へんぱいがわ)は、上野調べで野岳町が源流域で、そこからならば直線で約1800mの長さである。数本の支流がある。通常期の川幅は(写真2)付近ならば約5mである。今回の水害時(写真2の場所付近で)は、この川(幅)と周辺の田畑も含めて幅50〜80m前後で濁流が流れている。また、この川は「大村市政だより<1964(昭和39)年3月下旬号No.386>を参照すると、1962(昭和37)年の水害時にも上流域で両岸の護岸とも損壊したことが記述されている。

<被害写真提供のお願い> 松原地区は、上野自身が被害場所が分からなかったので被害写真が少ない。また、松原地区在住の方からの提供写真を除き、このページ掲載写真は、一人で被害場所を探しながら撮影したことと、撮影月日が大変遅れた関係上、当然全部の被害写真が撮れていない。それに、私が撮った場所は、変配川(注4)流域に限られている。

 もしも、他の場所で被害写真を撮られた方へ、お願いがある。できるだけ本ページに掲載したいので、写真のご提供を願う。<メールページは、ここから>。

概要
 松原地区は、被害内容などの詳細は、不明ながら1957(昭和32)年 大村大水害でも各所で被害があり、、また、注4でも書いた通り、1962(昭和37)年の水害時に変配川(へんぱいがわ)の護岸が壊れたことが分かっている。上野は、充分な調査ができていないが、この2回の水害時に違う場所で、別内容の被害があったと推測している。

 今回の2020年7月6日、大村水害(豪雨被害)でも、各所で床上・床下・敷地内への浸水、堤防(石垣)の損壊、土砂崩れ、道路路肩の崩れ、耕作地や道路の冠水被害などがあったようである。詳細は、大村市の発表以降、このページにも掲載予定。

 過去に水害があったか、どうかは別として、改めて松原地区を流れている主な川(一部、支流も含めて)を列記すると、次の通りと思われる。まず、福重地区を流れている場合は「石走川」の下流域である「よし川、さらに「よし川」に流れ込む支流(源流部では馬込水源の「馬込川」)で、その下流域の染谷川、次に注4に書いた変配川(支流や用水路の下流もある)、また、武留路山周辺を源流部とする餅の浜川などがある。 そして、どの川も堤防の高さ、あるいは川幅も広くはない。

 あと、通常期ならば小川とも呼べないような谷筋あるいは用水路(井手)の下流域も何本かあるようだ。松原地区には、仮の表現で大村湾側を表面とするならば後背地には、北から武留路山、鉢巻山、やや距離は離れているが郡岳含めて面積のある山がある。これらの山に降った大雨や、道路を流れる下る水も含めれば、先ほどの谷筋みたいな所も一気に増水した川みたになって、水害につながっていったと想像される。

松原2丁目の被害写真と説明-----<Fさんからの提供写真。(写真1、2)も参照願う>
 松原2丁目は、北に餅の浜川、南に変配川(へんぱいがわ)、西に大村湾があり、その間に広がる町である。今回の水害で上記の(写真1、2)の通り、変配川の流域(下流部から河口近く)は、濁流が海(大村湾)へ流れ切れず、滞留したと思われる地域である。

 (写真3)中央部にある変配川は、左側から右側へ流れている。その川床は、上野が国土地理院のサイトで調べたところ、 (写真3)周辺で標高が1.8mである。そして、同写真手前側の市道は、標高2.8mである。 (写真2)の濁流の水位(高さ)は、その市道よりも、さらに1m近く高い位置にある民家の庭へも浸水していると推測されるので、次の(写真4、5)の状況になったと考えられる。

 つまり、 (写真2、3、4、5)の周辺では、水害時は私の想像ながら通常の変配川の水位より約1.5m高くなり、濁流が滞留し、さらに下記写真通り民家の庭へも浸水してきたと思われる。
(写真4) 松原2丁目 民家の玄関近くの庭と思われる。奥にある柵の奥側が市道、さらに最奥方向が変配川と思われる。   (写真5) 松原2丁目、民家の庭周辺と思われる。写真最上部=最奥側の説明は左側の(写真4)と同様と思われる。


松原1丁目の被害写真と説明-----


  (この原稿は、準備中。、しばらく、お待ちください)




 (初回掲載日:2020年11月11日、第2次掲載日:11月16日、第3次掲載日:11月20日、第4次掲載日:11月28日、第5次掲載日: 月 日、第6次掲載日: 月 日)

関係HP  2020年7月6日 大村水害  大村市・福重地区の水害状況(写真と説明文) 掲載中
 1957年7月25日〜26日発生  1957(昭和32)年 大村大水害
掲載中


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