紹介シリーズ |
大村の経筒紹介シリーズ |
草場の経筒その1 |
概要紹介 ・名称:草場の経筒その1 ・発見場所:草場町の畑(如法寺跡から約100m北側) ・建立年代:平安時代後期頃 ・大きさ:高さ45cm、幅16cm ・現状:個人宅内で所蔵 ・滑石の産地:西彼杵半島と推測 草場の経筒その1(右横の写真参照)は、草場の経筒その2、草場の経筒その3と同様に草場町にある如法寺跡近く(この寺院跡から約100m北側へ行った)畑から出土しました。(当初の)発見者は土地所有者の家族の方で、発見年は戦後間もない頃(1946年頃)と聞いています。 その畑からリヤカーで所有者宅横の小屋に運ばれました。後で、草場の経筒その1、草場の経筒その2の方は、汚れていたためか洗浄され、石の表面を磨かれたそうです。 また、この2個(基)は、姿形が良かったためか、本宅の部屋で置物(もしくは花瓶)みたいにして大事に置かれていました。草場の経筒その1は、全体やや白っぽい色をしています。そして、大きさは、草場の経筒3個(基)の内、この草場の経筒その1が一番高く、高さは45cmで、幅は16cmです。この石材は、滑石で推測ながら大村の距離的位置から西彼杵半島産出のものと思われます。 この草場の経筒その1が造られた年代は、末法思想の流行した平安時代後期頃と推測されます。この周辺で経塚(きょうづか)は見つかっていませんが、その上に乗っていたといわれている滑石製の平安仏(単体仏)は、「草場の単体仏(滑石製平安仏)」はじめ、やや距離はありますが、元々は〃草場郷(町)だった 「東光寺の単体仏(滑石製平安仏)」もあります。 あと、ご参考までに郷名(町名)は違いますが、旧・矢上郷(現・福重町)にある 「石走の単体仏その2(滑石製平安仏)」と 「石走の単体仏その2(滑石製平安仏)」は、発見場所から、そう遠くない(約350m)位置にあります。 経筒の製作関係寺院 (原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) (初回掲載日:2019年4月7日、第二次掲載日:2021年9月2日、第三次掲載日2022年6月15日) |