紹介シリーズ |
大村の経筒紹介シリーズ |
草場の経筒その2 |
概要紹介 ・名称:草場の経筒その2 ・発見場所:草場町の畑(如法寺跡から約100m北側) ・建立年代:平安時代後期頃 ・大きさ:高さ34cm、幅17cm ・現状:個人宅内で所蔵 ・滑石の産地:西彼杵半島と推測 <注:先に書いておきますが、本ページ内容は、先に掲載中の「草場の経筒その1」と、一部分を除き、ほとんど同じです。その理由は、出土(発見)した場所も、発見者(関係者)も、経筒の保存状態も、ほとんど同じ状況だからです。ただし、経筒それ自体の姿形、色、大きさ、重さなどは当然違いますので、その点は区別して書いていきます> この草場の経筒その2(右横の写真参照)は、草場の経筒その1、草場の経筒その3と同様に草場町にある如法寺跡近く(この寺院跡から約100m北側へ行った)畑から出土しました。(当初の)発見者は土地所有者の家族の方で、発見年は戦後間もない頃(1946年頃)と聞いています。 その畑からリヤカーで所有者宅横の小屋に運ばれました。後で、草場の経筒その1、その2の方は、汚れていたためか洗浄され、石の表面を磨かれたそうです。また、この2個(基)は、姿形が良かったためか、本宅の部屋で置物(もしくは花瓶)みたいにして大事に置かれていました。草場の経筒その2は、全体やや灰色っぽい色をしています。そして、草場の経筒3個(基)の内、大きさは、この草場の経筒その2が一番低く高さ34cmで、幅は17cmです。この石材は、滑石で推測ながら大村の距離的位置から西彼杵半島産出のものと思われます。 重さも草場の経筒3個(基)の内で最軽量ため、持ち運びやすい利点があります。そのため、これまでおこなった各地での経筒展示回数が、一番多い経筒でもあります。(その単体展示の一例として「2018年10月27日、大村市身体障害者団体連合会・研修会<郷土史講話>(概要報告)」 「2019年1月29日(火)〜2月24日、福重の石仏写真展の報告(概要)」ページを参照) この草場の経筒その2が造られた年代は、末法思想の流行した平安時代後期頃と推測されます。この周辺で経塚(きょうづか)は見つかっていませんが、その上に乗っていたといわれている滑石製の平安仏(単体仏)は、「草場の単体仏(滑石製平安仏)」はじめ、やや距離はありますが、元々は〃草場郷(町)だった 「東光寺の単体仏(滑石製平安仏)」もあります。 あと、ご参考までに郷名(町名)は違いますが、旧・矢上郷(現・福重町)にある 「石走の単体仏その2(滑石製平安仏)」と 「石走の単体仏その2(滑石製平安仏)」は、草場の経筒3個(基)の発見場所から、そう遠くない(約350m)位置にあります。 (中間及び後半原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) (初回掲載日:2019年4月18日、第二次掲載日:10月18日、第三次掲載日:2021年9月10日,第四次掲載日:2022年6月15日) |