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福重郷土史同好会
2018年の活動報告(6)

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大村身障連・研修会(中央奥側、上野が石仏を紹介中) (2018年10月27日撮影

大村市身体障害者団体連合会・研修会<郷土史講話>(概要報告)

日時:2018年10月27日13時30分〜14時45分、場所:福祉センター、参加合計30名
テーマ:再発見・大村の自然と歴史 (副題)「そうだったのか」と興味深い大村の山や川と歴史

不動明王CG写真の紹介中

講話概要:身障連の皆様、こんにちは。私は福重郷土史同好会の上野です。今日は、大村の自然や、私の地元・福重に沢山ある古い石仏について話します。最初に福重から持ってきた実物の石仏などを紹介します。

 ・滑石製平安仏(かっせきせい の へいあんぶつ、単体仏)----今から約900年前、平安時代末期に経筒(きょうづつ)を埋めた経塚(きょうづか)の上に乗っていたと思われる石仏。福重と松原には合計9体ある。大きさは、高さ約25cm、横幅15cmである。石材は滑石で、西彼杵半島(にしそのぎはんとう)産出(さんしゅつ)と思われる。

 ・経筒------経典(お経)を入れて、経塚に埋められていた滑石製の石の筒で、平安時代末期の制作。大きさ約35cm、横幅約20cm、胴囲約60cmである。
 ・滑石製の鋳型(いがた)=鋳物(いもの)などを鋳造(ちゅうぞう)時に溶かした金属を流し込む型と思われる。高さ・横幅とも約5cmである。
 ・大村に良くある平たい石=今富町の「黄金山古墳」にも使われていた同じような石。大きさは。高さ・横幅とも約15cmである。
 これらはご覧頂き、目のご不自由な方は、直接触っていただいてけっこうです。これから、大村の山、滝、川、石仏、島などを紹介していきます。

経ヶ岳(きょうがだけ、1076m、黒木町
郡岳(こおりだけ、826m、重井田)
鳴滝(なるたき、約7m、武留路町)
滑石製の平安仏(3体並び) (弥勒寺町)
仏頭その1 (弥勒寺町)
下八龍の線刻石仏(弥勒寺町、シュシュの駐車場脇)
 
 弁天島 (臼島の東側にある細長い島)

大村の山、滝、川、石仏、島などを紹介
 注:下記説明文の<写真・・・>とは、講話時に写した「スライド写真」のことで、このページ掲載写真以外に多数ある。

1)経ヶ岳(きょうがだけ、1076m、黒木町)  <写真は「経ヶ岳」>
 どこから見ても三角形、岩の山で険しい。
 経ヶ岳の山名の由来は、お経(経典)から 経筒の中に経典入れて山頂に埋めた。永仁2年(1294年)鎌倉時代<写真は「弥勒寺の経筒」>

2)経ヶ岳には滝がある(ほとんど知られていない)
 通称:「大滝」落差約12m<写真は「大滝」> 傾斜の滝(落差約7m) <写真は「傾斜滝」>

3)萱瀬には沢山の滝がある
 鮎がえりの滝(落差約5m) <写真は、その滝>   青椎滝(落差約4m) <写真は、その滝>

4)郡川(15.9km、大村で最長、県内第4位の長さの川)
 福重橋-----橋が架かる前は飛び石<写真は「郡川と福重橋」>
 郡川の飛び石-----江戸時代、シーボルトが描かせた絵<写真は、その絵>

5)郡岳(こおりだけ、826m、重井田町)
 山名の由来は古代肥国の役所:彼杵郡家(そのぎぐうけ)の「郡(こおり)」からである。
<写真は「彼杵郡家」の寿古町説の図> 役所の彼杵郡家の「郡」から。郡岳、郡川、郡村(松原・福重・竹松)<写真は、「郡岳」と皆同町の田んぼ>

 郡岳には太郎岳大権現があった<写真は「郡岳の中腹」> 左側の大きい岩:坊岩(ぼうのいわ) 中央部:本坊跡  坊岩(ぼうのいわ)の高さ約約50m、横幅約50m。
山頂に残る礎石跡(4個の平らな石)
 
6)御手水の滝(おちょうずのたき、裏見の滝)
 重井田町にある滝 落差約30m <写真は、その滝>
 巨岩(高さ約40m、横幅約100m) 樹木や渓谷美の魅力<写真は、その巨岩の岩場>

7)鳴滝(なるたき、武留路町) <3枚の写真は、その滝>
 落差約7m、美しい滝

8)山田の滝(上諏訪町)<)写真は「山田の滝」「直線滝の上部皮床」「直線滝」>
 山田の滝(落差11m)  直線滝上部の川床(溶岩跡)  直線滝(山田の滝の直ぐ上側)

 山田の滝周辺の碑文<写真は川の中の碑文(拓本作業中)> 題目淵の碑文<写真は実物の岩場>  <写真は題目淵の碑文CG加工>

 山田の滝周辺の渓谷 <写真は小滝が3滝見える場所両岸に高さ20mの岩> <写真は人面石(高さ3.5m)> <写真は大きな岩(小さな車庫並み)>  渓谷全体、深山幽谷の雰囲気

9)福重の石仏紹介(1) (平安末期頃)
 石走の単体仏(滑石製の平安仏)高さ約24cm、横幅16.5cm<写真は、その石仏写真>
 石堂屋敷の3体並びの単体仏(滑石製の平安仏) <写真は、その石仏写真>
 下八龍の線刻石仏<写真は、その石仏写真>

10)福重の石仏紹介(2)
 弥勒寺の不動明王像  鎌倉時代初期〜中期に建立、公民館敷地内 全体の大きさ:高さ168cm、横幅78cm <写真は、その石仏写真>(白線部分はCG加工)
 仏頭その1(弥勒寺町、石堂屋敷)(高さ90cm、横幅:80cm) <写真は、その石仏写真>

11)石仏紹介 大村の馬頭観音(近世〜近代)
 ギリシャ彫刻を思わせるような芸術的な馬頭観音
 大村市内には多い
 中岳の馬頭観音(黒木町、江戸時代の建立) <写真は、その石仏写真>  高野の馬頭観音(今富町、江戸時代の建立)<写真は、その石仏写真> 野田平原の馬頭観音(東野岳町、野岳湖畔)

12)大村の島紹介
 島の紹介(1) 臼島(うすしま)<写真は、その臼島、航空写真>
 島の紹介(2) 弁天島(べんてんじま) <写真は、弁天島の4枚写真>
 島の紹介(3) 盗人島玖島崎 盗人島と飛び石 メディア6社が取材、有名な島へ<写真は盗人島の写真> 元は島だった玖島崎、全体が風光明媚<写真は玖島崎写真>

13)他にも大村には、良い所がある
全国の方に選んで頂いた百選も沢山ある
 (1)さくら名所百選-------------大村公園
 (2)日本の歴史公園百選-------大村公園
 (3)日本の米づくり百選--------野岳地区
 (4)森の巨人たち百選---------萱瀬スギ
 (5)歴史の道百選------------長崎街道鈴田峠
 (6)ため池百選--------------野岳湖

<質疑応答(下記は順不同で書いている)
Q1:彼杵郡家(そのぎぐうけ)とは?
A1:現在の寿古町・沖田町・竹松町周辺にあったといわれている。古代肥前国の郡役所で、分かりやすく言えば市役所や県央地域の県庁みたいな所だった。

Q2:明治時代の記録で「彼杵郡黒木村」と書いたのを見たが?
A2:1942(昭和17)の大村市合併前は、東彼杵郡の「松原村」「福重村」「萱瀬村」と言っていた。その「萱瀬村」の経過は知らないが、それ以前に東彼杵郡「黒木村」があったのかもしれない。

Q3:弁天島には行けるのか?
A3:船でないと行けないが、私は史跡調査のため招待で行った。通常は行けないと思う。 (ここで会場から「昔は泳いで臼島まで行っていた。泳げば良い」などの話しも出て、少し笑いとなった)

Q4:福重橋は、「郡橋」の間違いではないのか?
A4:郡中学校付近にバス停としてある「郡橋」が有名だが、福重橋は今でも正式名称として福重橋である。

<上野の感想>
 私が、身障連の方々へ講話するのは今回初めてでした。身障連の方だけでなく、手話通訳、要約筆記の方々など含めて何分にも今まで未体験だったために、かなり緊張もしました。また、福重から持参した滑石製平安仏・経筒など遺物が4種類、さらに液晶モニター・パソコン・各ケーブル類、それにA3サイズ写真10枚と衝立など、けっこう多くを持ち込んだので、皆様に準備から後片付けまでお手伝いしていて頂き、改めて感謝申し上げます。

 聴講者の方から、「私は大村出身者ではないので、どの話もワクワク興味深く聞いた」との感想も賜り、ありがたいことでした。最後に、今回の「研修会」(郷土史講話)に出席された皆様、お疲れ様でした。皆様のますますのご活躍を祈念しています。

(以上)


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