盗人島(ぬすっとじま)
盗人島は、大村市玖島1丁目の玖島崎(大村競艇場の南側近く)にある小さな島です。後で(大村)郷村記の項目で詳細書きますが、干潮時には海岸を歩いて島まで渡れます。この島の中に何か石祠(せきし)か何かある訳ではなく、少し草木が生えている程度で、あとは岩場ばかりです。島自体は、このように何の変哲もない小島ですが、この盗人島(ぬすっとじま)と言う珍しい名称に注目が集まるのか、近年けっこう話題になっている島でもあります。
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中央:盗人島(まわりは大村湾)
右側:盗人島の飛び石(一部)
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この島が一躍有名になったのは、2010年5月13日、5月19日付け西日本新聞「盗人島の飛び石」報道の影響が、大きいためだと思われます。この新聞社以外に、私が応対しただけでも(2011年8月現在)テレビ局2社、ラジオ局1社を案内・説明いたしました。各社からの質問内容で多いのは、ここにある「盗人島の飛び石」のことです。(この件については、ご参考までに先に盗人島の飛び石紹介ページに既に掲載中ですので、ここからご覧願います) そして、その次に多い質問が、島名の由緒についてです。
江戸時代の大村藩領絵図には、島の面積が小さ過ぎて島影のように描かれていますが、島名は書いてありません。そのため、この盗人島自体は、(大村)郷村記の記述を書く程度であっさり終わったのですが、先に述べた通り珍しい島名の件で話題や質問にもなっていますので、これまでの伝承や推測説などを紹介します。
島名についての推測説
これまで「大村の島」シリーズ(2011年8月1日現在)で紹介してきました島は、鹿島(大村藩領絵図では久津嶋)、箕島、赤島、がろう島、そうけ島、臼島の6島です。これら島の中で、鹿島を除き、あとの5島の名前の由来は、けっこう明確です。特に、箕島、そうけ島、臼島の3島は農具の形状に島が似ているからと言われています。赤島は、島内に生えていた”赤松”からのようです。今後このシリーズで紹介予定の龍神島や寺島も、各々由来が明確と言えます。
しかし、この盗人島(ぬすっとじま)と言う珍しい島名は、私が調べた範囲内で(大村)郷村記などの古文書類には書いてありません。(大村)郷村記は、江戸時代の役人(侍)が書いた”大村藩全村総合調査報告書”みたいなものです。それで必要以外のことは書いてありませんが、地形や名所旧跡などの名称由来は項目によって、けっこうキッチリと記述されている場合もあります。
上記のように盗人島の島名の由来については、古記録に載っていないようですから、あとは伝承(言い伝え)では、どのようなことがあるのかと言うことです。私の方に先に紹介しました2010年5月13日付け西日本新聞の記事以降、主に大村市民の方々から情報が寄せられました。その内容は、集約しますと次の3点になります。
盗人島、島名の三つの推測説
(1)「島に物を置いて3周まわると物がなくなった」からだ。
(2)「大昔、泥棒が閉じ込められた島」からだ。
(3)「全国で”盗人島”というのは、海賊と関係ありの名前となっている」からだ。
などです。
しかし、(3)の海賊関係説は、人が何か隠すにしても住むにしても、この島はあまりにも小さ過ぎて関係ないように思われます。また、この島は標高も数メートルしかなく、日常でも風の強い日とか、さらには台風などの暴風時に潮水が直接全部にかかる島です。あと、(1)と(2)の推測説にしても決定的とか最終的な根拠と言うには、少し遠い感じはします。珍しい名称なので、その話題だけが独り歩きしているようですが、古記録や実際の島の状況を見ると先の通りです。
名称の由来や根拠などは、いくら探しても分からなければ分からないまま、そっとしておくのも、この種のことはいいのかもしれません。島名の珍しさが先に有名になってしまいましたが、この近くには史跡の玖島崎古墳や静かな散策に向いている玖島崎もあります。さらには、盗人島から眺める眼前の海(大村湾)や夕陽も美しいですから機会あれば、この小さな島も直接ご覧頂ければなあと思います。
大村郷村記の盗人嶋の記述について
大村郷村記(藤野保編)には、盗人嶋のことが、第一巻、89ページに記述されています。原文は、縦書きの旧漢字体などです。念のため、できるだけ原文は生かしたいのですが、ホームページ表記上できない文字もあるため、それらと同じような漢字に上野の方で変換しています。なお、見やすくするため太文字に変え、さらに改行したり、文章の区切りと思えるところに空白(スペース)も入れています。ですから、あくまでも下記はご参考程度にご覧願います。引用をされる場合は原本から必ずお願いします。「 」内の太文字が、大村郷村記からの引用です。
「一 盗人嶋
玖島崎の西磯邊より貳拾間程の所にあり、周廻貳拾間程の小嶋なり、眞中に少しの雑木生す、干潮の時は歩行渡りよし 」
現代語訳
上記の(大村)郷村記を現代風に口語訳すると次の< >の通りと思われます。ただし、念のため、正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の素人訳ですから間違いあるかもしれませんので、ご注意願います。 ( )内は上野の解釈上の補足などです。
< 盗人島(ぬすっとじま)
玖島崎の西の磯部(海岸)より約36mの所にある。(島の)周囲が約36mの小さな島である。(島の)真ん中には雑木(ぞうき)が少し生えている。干潮の時は歩いて渡りやすい>
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奥左側:盗人島(まわりは大村湾)
中央やや右側:盗人島の飛び石
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以上の大村郷村記や現代語訳含む記述をご覧頂くと、現在でも盗人島の状況を表現するなら上記の通りでも、ほぼ通用する内容です。また、島名や「盗人島の飛び石」について記述されていないことが、上記からもお分かり頂けるかと思います。
まとめ
盗人島紹介ページも、最後のまとめを書くことになりました。ただし、(大村)郷村記の記述は少ないですし、それ以外の地元に伝わっている話しも、そう多くはありませんでしたので、このページ自体の詳細紹介ができなかった感じとなりました。そのようなことから、さらに特別に何か補足したりすることもありませんが、私が、この島に行った時の感想程度を若干書きます。
私は、この島へ先に紹介しました新聞で話題になった頃から2011年8月現在までに既に10回近く行ったことになります。その多くが、どちらかと言いますとテレビ・ラジオ局の取材・収録の案内と説明目的でした。それも、盗人島それ自体より、潮が満ちた時に島に渡る目的で使用される盗人島の飛び石の方が話題として大きかったです。(この飛び石の件は、盗人島の飛び石ページに詳細に書いていますので省略します)
このような機会に、私は、先の項目と重複した書き方になりますが、その都度「飛び石だけではなく、この海(大村湾)、臼島や夕陽の景色あるいは島の近手前側にある玖島崎、玖島崎古墳や龍神島なども静かに散策できますので、そのことの紹介も、よろしく」と、お願いしました。この盗人島周辺は、国道34号線、大村市役所、大村公園、大村競艇などから、いずれも車で10分もかからない距離にあります。機会あれば波静かな大村湾を眺めつつ、小さな盗人島もご覧なられるのは、いかがでしょうか。 (ページ完了)
大村の島シリーズ:臼島、鹿島、龍神島、寺島、盗人島、箕島、赤島、がろう島、そうけ島、弁天島
(初回原稿掲載:2011年8月19日、第2次掲載:2011年8月25日、第3次掲載:2011年8月29日、第4次掲載:2011年8月31日)