赤島(あかしま)
赤島は、長崎空港建設前まで大村湾内で箕島につながる島として存在していました。この島は、細長い小島と言うことと、大村市の陸地側から見ると、手前側にあったがろう島やそうけ島が、視界の邪魔をするような感じで存在していたため、あまり見れない島でした。私自身の記憶でも、この島は肉眼で見たことなかったと思っています。(左写真の左側方向が大村市街地になる)
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箕島、赤島、がろう島、そうけ島など
赤島は写真のほぼ中央部 (岩永氏所蔵写真より)
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右写真でもお分かりの通り、干潮時には陸続きになる細長い島でした。赤島の形成は、箕島紹介ページと同内容で多良岳(たらだけ)が噴火(約100万年前から開始、約25万年前頃に終了と言われている)盛んな頃、近くにある臼島(うすしま)とともに東西に走る断層線に沿って海から隆起してできた箕島(火成岩の島)と同時にできたと思われます。
後で書きます(大村)郷村記にもある通り、ここには松の木が生えていました。しかし、枯れてしまったようです。この島名の由来は先に述べた通り、「松の木が多かった」=種類は”赤松”だったことからと思われます。
1972(昭和47)年1月から長崎空港の建設が始まりました。そして、3年余りの工事を経て1975(昭和50)年5月1日に現在の長崎空港が開港しました。同時に箕島、がろう島、そうけ島とともに島としては存在しなくなりました。
大村郷村記の赤嶋の記述について
大村郷村記(藤野保編)には、赤嶋のことが、第一巻、89ページに記述されています。原文は、縦書きの旧漢字体などです。念のため、できるだけ原文は生かしたいのですが、ホームページ上、表記できない文字もあるため、それらと同じような漢字に上野の方で変換しています。
なお、見やすくするため太文字に変え、さらに改行したり、文章の区切りと思えるところに空白(スペース)も入れています。ですから、あくまでも下記は、ご参考程度にご覧願います。引用をされる場合は、原本から必ずお願いします。「 」内の太文字が、大村郷村記からの引用です。
「一 赤嶋
周廻壼町四拾間、大岩石平夷の小嶋にて、小松間原に生す、大潮干の時は箕嶋より歩行渡りよし 」
現代語訳
上記の(大村)郷村記を現代風に口語訳すると次の< >内の通りと思われます。ただし、念のため、正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の素人訳ですから間違いあるかもしれませんので、ご注意願います。 ( )内は上野の解釈上の補足などです。
< 赤島(あかしま)
(この島の)周囲の長さは約180mである。大きな岩石がある平坦な小島で、松がたくさん野原に生えている。大干潮時には箕島から歩いて渡ることもできる >
上野の補足:
人が住んでいた箕島に直結していて、さらに干潮時に歩いて渡れた島でしたから、けっこう島民の方にとって、この赤島は馴染みのあった島と言えます。あと、既に島名の由来で述べた松の木と関連した事項ですが、箕島に住んでおられた岩永氏にお聞きしたところ「赤島は松の木が生えていたが、病気になったのか枯れてしまった」と教えて頂きました。 (ページ完了)
大村の島シリーズ:臼島、鹿島、龍神島、寺島、盗人島、箕島、赤島、がろう島、そうけ島、弁天島
(初回原稿掲載:2011年7月23日、第2次掲載:2011年7月25日)