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大村の滝シリーズ 鳴滝
鳴滝のデータ
 滝の名称  鳴滝(なるたき)
 滝の所在地  大村市武留路町
 関係する川の名前  餅の浜川(もちのはまがわ)の中流域
 落差  約7メートル
 滝壺  あり(横幅約16m、奥行き約8m)
 周辺部の特徴  巨岩、巨石があり、 渓谷美をなしている
 周辺部の滝  鳴滝の左側に二つ、下流部に一つ、上流部に六つ程ある(下記の本文参照)
 大村郷村記  「江串村」の項に記載あり(下記の本文参照)
 滝や周辺の管理  井手(用水路)の組合で周辺管理、鳴滝水神宮(水神様)などあり

鳴滝(なるたき)
  この鳴滝(なるたき)は、長崎県大村市武留路町にあります。水質も良く、水量豊富で音の迫力もあり、素晴らしい滝です。滝は、この一か所だけでなく、この周辺と上流域には、いくつも自然に流れ落ちる滝があり、今回主に6つに分けて下流にある鳴滝から上流域に登る方向で紹介して、さらにその後、下流域にある滝も掲載していきます。なお、高さや幅などは、個人で実測した数値ですから、ご参考程度にご覧頂けないでしょうか。

(1) 鳴滝(右写真参照)
 ・滝の落差=約7m  ・滝の岩の高さ=約8m ・滝壺=横幅約16m、奥行き約8m

 後の方で重複した紹介になりますが、まず、江戸時代・大村藩が編纂した郷村記(以降、大村郷村記と称する)に記述されている内容から書いていきます。

大村郷村記による鳴滝の記述について
  鳴滝について、復刻版の大村郷村記・第二巻(編者:藤野保、1982年2月28日発行)の江串村、405ページに下記の太文字のように記述されています。ただし、旧漢字仮名使いのため、上野が一部変えています。そのため、下記は、あくまでもご参考程度と言うことで、引用などされる方は必ず原本をご覧願います。念のため、大村郷村記は縦書きです。

瀧之事
一鳴壺
餅の濱川より行程拾五町程東の方にあり、瀧高五間程、瀧壺廣壱壹畝、深四尋、北の方岩高八間餘、南の方拾間餘、此瀧の上に四尺方程の水瓶に似たる穴あり、是を半胴口と云、此穴より水落る也


注:上記の大村郷村記の後半に「半胴口」と言う文字があります。この「半」の文字は郷村記通りではありません。似ている文字ですが、原本と違います。ただし、このページを含む前後に、この文字は大きさを表す文字として何回も使用されていますので「半」の漢字と思われます。

 上記の大村郷村記の現代語訳を下記< >内に書きます。ただし、私の素人訳のため、間違いもあるかもしれませんので、ご注意願います。

  滝のこと 一つ 鳴壺(なるつぼ)  餅の浜川(もちのはまがわ)より距離は1636mほど東の方向にある。滝の高さは9mほどで、滝壺(たきつぼ)の広さは約99平方メートル( 30坪)あり、深さは約7mである。

 北の方の岩(滝の岩場)は高さ約14m、南の方へ(横幅)は約18mある。この滝(鳴滝)の上に120cmほどの水がめに似た穴がある。これを半胴口(はんどうぐち、)と言い、この穴より水が落ちている。 >

鳴滝(広角レンズで撮影)
:半胴口(はんどうぐち)とは、上記の文章のつながりから、水、醤油や味噌その他をためておく半胴甕(はんどうがめ)のことと思われる。つまり、水が噴き出しているようにも見える岩場の穴のことを半胴甕の口と表現しているものと考えられる。

 現代語訳は以上ですが、この大村郷村記の記述と現在の自然環境を比較すると、滝及びその周辺は変わっていない状況です。あと、大村郷村記では滝の落差約9mと記述されていますが、2009年2月に私が滝の上から巻尺で計測したとこころ、冒頭に書いている通り、鳴滝の落差は約7mでした。

 今回この大村郷村記関係を書くに当たり、「半胴口」などの解釈について、大村市文化振興課の大野氏より丁寧に教えて頂きました。改めて感謝申し上げます。

(2) 鳴滝の直ぐ左側にある小さな滝(左写真参照)
  ・落差=約4m
 この滝は左の写真でもお分かりの通り、落差も幅も鳴滝の半分以下で水量も全然違います。ただし、私の見た範囲内ですが、周辺の岩場の形状その他から推測して、隣の鳴滝同様の年月を経て流れ続けているように思えます。

(3) 上記(2)のさらに左側にある滝 (この滝の写真は省略)
  ・落差=約10m
 この滝は見た目、幅広く薄い感じにも見えます。

(仮称)半胴口の滝(写真、左側の滝、
上部に直径1m強の穴あり。半胴甕に似ている)
(4)2本の滝筋が見える滝、仮称「半胴口の滝」(右写真参照)
場所:この滝は、鳴滝の約15mの上流部で右岸の岩場にある滝。
高さ:(右写真の)右側が約8m、左側約4m50cm
 この2本の滝は、岩場(崖)の中央部から豊富な水量が噴き出しています。左側の滝上部に直径1m強ある(黒く見える)大きな穴があります。

 この穴については、後述しますが実は写真左端から、さらにやや左側に廻り込んだ上部にも高さ1m満たないような小さな滝もあります。これも二本の滝と同じように岩場から水が噴き出しています。(注:写真は撮ったが、掲載は省略している)

 先の大村郷村記に水が噴き出している岩場の穴(右写真の左側で落差約4m50cmの滝)のことを半胴口(はんどうぐち)と記述しています。この半胴口は、「半胴甕(はんどうがめ)のこと」と思われます。<注:大村郷村記の鳴滝についての説明は、前の項目を参照

 半胴甕とは、水、醤油や味噌その他を溜めておく容器のことです。この半胴甕は須恵器で小型は梅干し入れから大型は貯水用の物まで様々あります。なぜ、この写真左の滝の穴を半胴口と言うかについて、その形状が丁度、横に寝せた水がめの半胴甕に似ているからだと思われます。

 このように、この周辺には滝が沢山ありますので、この滝を今後、大村郷村記に習って便宜上、仮称「半胴口の滝(はんどうぐちのたき)と呼称します。

 地元の方のお話によると、この「半胴口の滝」は水量が豊富だけでなく、「どんな日照りの年でも水が枯れたことはない」と言うことです。当然、下流にもこの滝水が流れる関係上、鳴滝も同様であり、さらに、その水を井手(用水路)から引いている水田も全く同じと言うことでした。

 この水は岩場(崖)の中央部から噴き出しているので川水とは関係なく、雨水が山から地中へ浸透して来た伏流水と思われます。しかし、地元の方でも、この伏流水がどこから来て、何故ここで湧き出しているのか不明とのことでした。

 ここからは想像・推定ですが、鳴滝や「半胴口の滝」の直近の山と言えば武留路山(341m)があります。また、一般に水脈はどこで繋がっているか分からないと言われていますので、この武留路町からは、やや離れていますが、鉢巻山(335m)や郡岳(826m)などの山も少しは影響あるかもしれません。私は、数は少ないですが3回の見学時、「半胴口の滝」を見ましたが、水量が全く変わらず一定のようでした。

四本筋に見える滝(鳴滝流域最上部の滝)
(通常は4本筋、雨の日は幅広くなる。写真左側にも小さな滝がある)

(5)傾斜のゆるやかな四本筋に見える滝
  この滝は、鳴滝の約20m上流部にあり、川の本流部です。通常期は、主に4本筋に見える滝で、長さ、高さ、幅もバラバラです。最高で落差約3m(傾斜分含めて滝の長さは約7m)です。雨の日など水量が多い時には、4本筋が全部まとまって幅広く流れているのかもしれません。

ここの滝壺は、横幅約13m、奥行き約7mで、水の色が濃く見えている所は、深さ約1m50cm位あります。4本筋の滝の左後方側に、先の項目で説明しました「半胴口の滝」があります。

 この両方の滝水が合わさって下流の鳴滝に落水するので水量豊富です。ここの滝壺から鳴滝までの川床は緩やかになっています。

 写真では見えにくいですが、4本筋の滝の上部は、いずれも傾斜緩やかな岩盤になっています。この4本筋に見える滝の上部約20m先には小さな砂防用の突堤があります。この突堤に上流に向かって一番左端から泉のようにして、水がコンコンと湧き出しています。

 まだまだ、川は上流に続いているようですが、一応この突堤で鳴滝流域の最上流部と言ってもいいのではないでしょうか。

補足説明と感想
岩場から噴き出している“ミネラルウォーターの滝
気分まで爽やかになる”清流の滝

 私は、この鳴滝や「半胴口の滝」を見た時、地元・武留路町の方もおっしゃっておられた通り、まるで「岩場から噴き出している“ミネラルウォーターの滝“」、「気分まで爽やかになる”清流の滝“」との第一印象を持ちました。とにかく、清らかで水質が良く、水量豊富な、素晴らしい滝です。また、この鳴滝を別に形容するなら”美しい滝”と表現してもいいと思われます。

 ドッドー、ドードーと音をたてて流れ落ちる滝は、視聴覚全体に響き渡る迫力さえ感じました。この水は、「どんな日照りの年でも、こんこんと岩場から水が湧き出ている」と聞き、一度飲んでみようと思い、飲んだところ美味しかったです。

素晴らしい巨石と渓谷美
 また、滝自体に目が奪われてしまいますが、まわりの岩場、巨石も見応えがあり、渓谷美のポイントにもなっています。さらに周辺に繁茂する木々や、そこに止まった野鳥の鳴き声も心安らぐものです。川床にある大きな石に座って長時間眺めていたいような気分になります。

鳴滝は、あまり知られていない滝だった
 この滝は、(あくまでも上野の調べではありますが)今まであまり知られていなくて、書籍類にもホームページにも掲載されていないようです。 なお、大村市内の滝と言えばシャクナゲ公園で有名な(観光地にもなっている)重井田町にある御手水の滝(おちょうずのたき、落差約30m、正式名称より通称が有名で「裏見の滝(うらみのたき)」とも言う)や山田の滝(やまだのたき、上諏訪町)なら多くの方に知れ渡っています。ですから、この二つの滝については、いくらでも本やホームページにも紹介されています。

注意とお願い
 滝の見学について、ここに行くには井手(用水路)の組合の方々が管理されている農業用水路を通行する必要があること、及び安全上からも地元の方の了解を得て、可能なら一緒に行かれた方が無難だと思います。

鳴滝流域最下流部にある「扇滝」(仮称)
(増水時はもっと扇型が幅広くなる。上写真は通常期)

(6)鳴滝の下流部と(仮称)「扇滝」について
 私は、先に述べた鳴滝を調べていた時に、下流側にもいくつか落差の小さい滝があることは知っていました。鳴滝から下流側へ約30m下った所に二つの滝(どちらも落差1m50cm位)は、直ぐに分かりましたし、このページには掲載していませんが写真も何回か撮りました。

 しかし、さらにそこから約50m下流側にある滝は、水音だけが、やや大きくて木々が邪魔しているため良く分かりませんでした。また、高い位置にある井手(用水路)の土手から、この滝を見下ろすと一見、人工で造られた堰(せき)から落水しているように見えて、当初調査する予定に入れていませんでした。

 それでも鳴滝調査4回目に行った時(2009年2月12日)に、一度くらいは確かめてみようと土手から降りて薮をかきわけて川に近づくと私の認識間違いであることが分かりました。一見、人工で造られた堰ように見えていたのは自然にできたもので、滝も落差は、そう高くないものの扇型に見える、なかなか美しいものでした。

(仮称)「扇滝」について
 計測すると下記の通りで、傾斜の滝でした。
・長さ約4m  ・最大幅約2m

 この滝の下に大きくないものの滝壺もあります。あと、右写真を撮った時は通常期のため水量多くありませんが、もう少し増水している時に見ると、下にある石に水が跳ねて更に扇を広げたように見えました。

 その後、この滝について大村郷村記か公的な資料に記述されていないか調べて見ましたが、ないようでした。あと、全国的に「滝の定義」みたいなものは、今のところないようです。それで上記データの通り落差はあまりないのですが、この鳴滝流域には他にもいくつか滝があるので、そこと区別する上でも仮称で呼びたいと考えています。

 傾斜しながら扇のように流れ落ちる形状からして、(仮称)「扇滝(おうぎたき)と呼びたいと思っています。念のため、何か正式な滝の呼称などが見つかれば、その名称に改訂いたします。 3月1日には4人での鳴滝調査時にも、この滝も見て頂きました。あと、鳴滝流域の最下流域として、この滝付近までとして、この滝流域の調査は、一応ほぼ終えました。

鳴滝紹介の動画
下記のビデオ内容について、撮影場所は長崎県大村市、武留路町です。撮影日は2009年1月28日と31日で昼の時間帯です。、掲載している映像時間は約6分20秒です。

 
鳴滝の神像
(鳴滝の下流、用水路の取水口付近にある)
鳴滝水神宮

(7)鳴滝の神像
 この鳴滝の下流部(用水路の取水口付近) には、一体の神像があります。大村郷村記には書いてないようです。そのようなことから、仮の名称として今後、鳴滝の神像と呼称していきます。
・石全体の大きさ 高さ=約45cm、横幅=30cm、胴囲=約74cm
・神像部分の大きさ 高さ=約37cm、横幅=20cm

  あと、鳴滝の神像について地元では、「上流から流れて来た」との伝承もあるようです。しかし、私が見た目で顔の表情は年月を経て分かりにくくなっていますが、全体ほぼ無傷の状態です。むしろ、最初からこの周辺に安置されていたような状態と思えます。ただし、台座の下に施してあるモルタルは近代の施工と考えられます。

 いつの時代に造られたものか、あるいは何の目的のために、ここに置かれているのか、いずれにしても、鳴滝の神像ついては今後も、調査・研究が必要かと思われます。

(8)鳴滝水神宮
 先の項目で述べた「半胴口の滝」の約15m上の崖には、水神宮(水神様)があります。この石塔の表側は「鳴瀧水神宮」、裏側には、縦書き3行で「昭和十五年八月一日建立 紀元二千六百年記念 武留路郷中」と彫ってあります。

 昭和15年は、西暦1940年で当時の武留路郷(現在の武留路町)の方々が、建立されたものです。この水神宮の石塔の下部周辺の岩場からも、少し水が染み出していて「半胴口の滝」の横周辺、あるいは鳴滝の上部付近に流れています。

(9)鳴滝と他の石仏との関係について
 あと、この鳴滝の約400m下流域の崖に仏岩三社大明神(九州最大級の線刻石仏1体と小規模2体の合計3体の線刻石仏)があります。この仏岩三社大明神と鳴滝とは、密教系か何かで関係もあるかもしれませんが、詳細は不明です。また、全然関係ない場合もあります。

 ご参考までに、福重地区の重井田町にある御手水の滝(おちょうずのたき、通称「裏見の滝」とも言う)は、古代には太郎岳大権現(現在の郡岳、826m)の山岳宗教の修行場だったとも言われています。(詳細は、古代の道・福重の修験道郡岳のページ御手水の滝ページをご参照願います)

 このページ全体通して、今後も補足の記述あるいは写真の追加などをしてみようと思っています。また、何か情報をお持ちの方は、eメールをフォームメール・ページから頂けば嬉しい限りです。


初回掲載日:2009年1月31日、第二次分:2月1日、第三次分:2月2日、第四次分:2月3日、第五次分:2月13日、第六次分:2月14日、第七次分:2月15日、第八次分:3月1日、第九次分:3月28日

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