大村三滝の共通項
冒頭にふれましたが、私は昨年から今春(2008年12月〜2009年3月)にかけて、大村にある滝について調べていました。その調査の始め頃には、大村三滝のある場所も形状も、あるいは滝周辺を利用されている状況も全く違っていましたので三滝の共通項に気付きませんでした。しかし、調査終盤にかかる頃、一見バラバラに見えていた大村三滝に共通項があることも分かってきました。 下記項目別の詳細は、後から記述することとして最初その共通項を箇条書きにしておきます。
大村三滝の共通項のまとめ
(1)三滝いずれも自然の滝で落差が5m以上あること。
(2)多良山系火山の溶岩が流れ着き岩場になっていること。
(3)江戸時代の大村郷村記に記述されていること。
(4)様々な歴史に登場し、また、人に利用されてきたこと。
(5)滝自体だけでなく周辺の渓谷美も素晴らしいこと。
などがあると思われます。上記の(1)から(5)について、これからそれぞれ個別に書いていきたいと思っています。
(1)三滝いずれも自然の滝で落差が5m以上あること。
大村三滝の落差を調べてみると、下記の通りです。(補足:計測器による測量は2011年7月16日に実施した。そして、このページ及び下表は、8月9日に改訂した)
滝の名称
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落差(測量方法)
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大村郷村記の記述では
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御手水の滝(通称「裏見の滝」) |
約30m(計測器)
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「絶壁にて、高サ拾七間余」 =約34m |
鳴滝 |
約7m(巻尺計測)
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「瀧高五間程」=約9m |
山田の滝 |
約11m (計測器)
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「瀧の高サ拾間程」 =約18m |
上表の落差数値について、鳴滝は上野が巻尺で計測した数値です。また、山田の滝と御手水の滝(通称「裏見の滝」)は、私の知り合いで建築会社勤務の方に計測器で測量して頂いた数値です。ミリ以下の単位まで測れる計測器の数値と、巻尺による数値には若干の誤差があるかもしれませんが、上表のような概要の数字ならば大きな差はないと思われます。なお、私は四捨五入しても例えば「10m50cm」と言うような50cm刻みで落差の表示をしようと思っていましたが、結果は三滝とも上表通りに切りの良い数字になったものです。
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山田の滝
落差約11m、大村市上諏訪町
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あと、大村三滝の落差について、公式な数字を書籍その他で探すことができませんでしたので、今後は上表の数値を元に、このページなどには書いていきます。 あと、江戸時代に編纂された(大村)郷村記に記述された落差数値と違っています。それは(大村)郷村記が編纂された江戸時代当時は巻尺計測と言うより別の違った方法か、さらには実測ではなく目測ではなかったのかなあとも推測しています。
特に、山田の滝(当時は「迹驚の瀧(とどろきのたき)」)の高さが、上表数値の通り、かなり違います。これは、その後の大水害などによる地形の変化もあるかもしれません。また、そもそもの計測地点の差から来る違いかもしれません。私は滝の落差数値と言えば下部は滝壺の水面からとし、上部は落水口としました。しかし、落水口にある岩場の高さも含めれば、それだけでも、どの滝も50cmから1m近く違ってきます。落差の基準=計測地点をどこに置くかによって、けっこう大きく変わる要素と思われます。いずれにしても、大村三滝の落差は、高さ5m以上あることは間違いありません。
ただし、先に述べた全国で有名な滝に比べたら高さを競うような落差では全くありません。それでも長崎県内の滝比較と限定した場合、特に御手水の滝(通称「裏見の滝」)の落差約30mはかなり高い順番になるはずです。 滝の場合には高さとか見た目とかもあろうかとは思いますので、なかなか1メートルくらいの落差や長さでは「あれは滝だ」とは言いにくい面があります。
そのようなこともあり、大村三滝はどの滝も5m以上あるし、高さ変更など何か人が手を加えたものでないし自然の滝なので、最初の共通項としました。 あと、落差そのものは鳴滝が約7mですから大村三滝の中では一番低いのですが、滝の流れの直線さ、滝壺の広さや青さ、あるいは見た目も含めれば一般に人が思う滝のイメージに一番近いような気がします。そのため、鳴滝は山田の滝に比べれば落差の数値は相当低いのですが、見た目の高さ自体は両滝とも同じように見える錯覚さえします。 落差とも関係がある滝の岩場について、次の項目で述べます。
(2)多良山系火山の溶岩が流れ着き岩場になっていること。
この項目については、既に「大村の歴史」(もくじページ)の「土地の形成」に多良山系の火山や溶岩流のことを既に書き、さらには二つの図なども掲載していますので、ご参照願います。また、溶岩流跡が市道から直接見ることのできる草場町の馬込水源の溶岩流跡の紹介ページもあります。
このようなページと重複しますので、ここではその概要だけ書きます。まず、溶岩を噴き上げた火山は、長崎県と佐賀県の県境にそびえる経ケ岳(1076m)を主峰とし、多良岳(983m)、五家原岳(1058m)を中心とする火山と、その外側にできた複数の例えば郡岳(826m)や鉢巻山(335m)などの寄生火山からと思われます。
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外輪山の様に見える多良山系(奥の山並み)
(左側:黒木小学校、手前:萱瀬ダム) |
溶岩の種類も安山岩、玄武岩など同質なものばかりではなく、地域によっては重層的にかさなり合っている場合もあり、なかなか複雑な様相を呈している所もあると言われています。大村の溶岩の質を極簡単に書きますと、多良山系火山は安山岩、鉢巻山は玄武岩、郡岳の溶岩は安山岩と言われています。(大村史談第四七号を参考にしますと)概要「多良岳火山(大村安山岩)は、多良岳火山の初期の安山岩で、 (中略) 御手水の滝と山田の滝 (中略) で見ることができる」と書いてあります。
あと、別の説では御手水の滝(裏見の滝)は、鉢巻山の溶岩流の風化した岩に郡岳の溶岩(安山岩)が載ってできたものとも言われています。いずれにしても先に述べた通り、大村の山や土地を形作った多良山系火山や寄生火山の溶岩流は所によっては重層的に流れて行ったものと推測されます。
そのような中、大村三滝の御手水の滝(裏見の滝)、鳴滝、山田の滝の岩場ですが、いずれの溶岩流も流れ着いた先端部と思えます。海抜も、御手水の滝(裏見の滝)が約200m、鳴滝が約60m、山田の滝が約70mの位置にあります。この中で、御手水の滝(裏見の滝)だけが、やや高い所にありますが、ほぼ全てこの先から平野部になる直前という位置関係になっていることが特徴と言えるでしょう。
全国の滝の中には、山奥あるいは山の中腹みたいな所も多くありますが、大村三滝の場合はこのように、どちらかと言うと丘陵部または平野部に近いとも言えます。そのため大村湾の近くを走る国道34号線沿いからいずれの滝に行ったとしても、その周辺は急に高い岩場みたいに見えます。さらにどの滝の岩場も川床に対しほぼ直角で、それらの頂上部から落水しています。
この項目で述べてきたように大村三滝は、お互いの滝の間隔、海抜、火山の違いなどありますが、いずれも溶岩流が流れ着き岩場になっている所にあることは共通項の二つ目に挙げることができると言えます。これらの滝の岩場について、江戸時代に編纂された(大村)郷村記には様々な表現を用いて記述されていますので、次の項目ではそれをご紹介致します。
(3)江戸時代の大村郷村記に記述されていること。
この項目は既に各滝の紹介ページに詳細(大村郷村記とその現代語訳)に書いています。そのため、下表にはその大村郷村記のみを極省略して記述していますので、詳細や現代語訳をご覧になりたい方は、各々のリンク先からご参照を願います。
滝の名称
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大村郷村記の記述(概要のみの省略版)
<記述されている村などの名前>
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詳細
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御手水の滝
(通称「裏見の滝」)
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野岳大堤下拂川と云処にあり 此処近村の勝地にて左右は深谷 末は今富村椎の木淵に流れ出 郡川に落合なり (中略) 此谷東北の方 屏風を立たるか如き一面の絶壁にて、高サ拾七間余 横四拾間余の大岩なり <福重村>
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鳴 滝
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餅の濱川より行程拾五町程東の方にあり、瀧高五間程、瀧壺廣壱壹畝、深四尋、北の方岩高八間餘、南の方拾間餘 <江串村>
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山田の滝
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池田分山田の奥にあり、瀧の高サ拾間程、左右山層り巌聳へ、緑樹陰森として周園の巖壁恰も屏風を立たるが如し、水は其巖間を傳ひ漲り落るなり、瀧壷長サ拾間、横五間、深サ五尋程 <池田分>
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上記のように江戸時代、大村三滝のいずれの紹介も大村藩によって編纂された郷村記(大村郷村記)に記述されています。この大村郷村記を極簡単に表現すれば江戸時代当時、大村領全村の”総合調査報告書”みたいなものです。しかも、役人(侍)が書いた文章ですから事実関係を淡々とまとめてあります。良い表現をするなら「全く無駄のない、まとまった報告書」とも言えますし、逆に悪く言うなら「味も素っ気もない文章」とも言えます。
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御手水の滝(裏見の滝)
落差約30m、大村市重井田町
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また、当時書かれた担当の役人によって若干違うのか、どの滝の記述についても、(上表の通り)それぞれ表現や内容が違っています。鳴滝は距離、方角、落差、滝壺などについての事実関係のみです。それに対し、御手水の滝(裏見の滝)と山田の滝の二滝については、事実関係以外にも形容詞も含めた表現で渓谷や自然の美しさ、さらには近隣の村との関係も書いてあります。
大村郷村記には、通常あまりこのような表現はしてないのですが、この二滝にあるような記述を見れば、いかに当時から多くの人々に親しまれていたか、良く分かる内容でもあります。さらに言えば、事実関係羅列の大村郷村記内にあって、なかなかの名文章とも言えます。私は、滝についての大村郷村記の記述を見て、ふと思うことがあります。
それは、滝の調査自体に何回行かれ足場の悪い所では苦労されたのではないかという推測です。現在なら車を市道脇に駐車し三滝とも15分くらいで行ける距離です。私は一応、調査すべき項目などを事前にメモしながら行ったのですが、それでも例えば撮影時の光線が逆光で良くなかったとか、ほかに小さな滝があったのに計測忘れをしていたなど、様々ありました。
そのようなこともあり結局、私は大村三滝について計測などの調査、写真や動画撮影などを繰り返し、今年(2009年)のみと限定しても最低各々5回以上出向きました。江戸時代の役人がされたことですから、私のような非効率的なことはされなかったと思いますが、いずれにしても平坦地と違い、山道あり、岩場あり、川床の石や水流を避けながらの歩行ありと、滝に近付くだけでも時間も苦労もあったものと推測しています。
このような当時の役人(侍)の苦労のおかげもあり、滝みたいな自然や地形についても大村郷村記から様々なことが読み解くことができます。郷土史で古文書とか古記録と言えば、どちらかと言えば人や神社仏閣みたいな歴史研究が多いように思われます。でも、このような自然や地形は、当時とそう大きく変わっていない所もあり、なかなか興味深いテーマとも思えます。また、全国的にも地形なども含めた”総合調査報告書”みたいな古記録は少ないと言われています。
ただし、当時の記録ですから計測間違い、事実誤認その他もあり注意は必要です。恥ずかしながら実際この点について、私は何回かホームページ掲載後訂正を繰り返したこともあります。そのような要注意点はありますが、自然や地形についても記述されている大村郷村記の現代活用は、郷土史研究の基本的なことだけでなく、違った見方や発想もあるような気がします。次の項目は、大村三滝と人の関係を主に書きます。
(4)様々な歴史に登場し、また、人に利用されてきたこと。
大村三滝と人や歴史との関係ですが、いずれも古くから地域と深いつながりがあると言えます。そこのことの概要をまず下表にしてみました。
なお、下表の中には大村郷村記や他の古記録に記されている内容もありますが、一部地域で伝承されてきた事柄も含めて書いています。
滝の名称
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滝と人に関係する事柄や歴史事項など (古記録及び地域伝承含む)
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御手水の滝
(通称「裏見の滝」)
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(1)奈良時代初期、(郡岳の旧称である)太郎岳には三尊を祀る太郎岳大権現があり山岳密教が盛んだった。その修験場が、この滝周辺にあったと云われている。
(2)平安時代末期か鎌倉時代頃の制作と思われる経筒(御手水の滝の経筒)が、滝の脇から発見されて、その記念碑もある。
(3)この滝水を汲んで草場町にある松尾神社(まつのおじんじゃ)では酒を造っていたと言う古記録が残っている。(そのことにより松尾神社は「酒の神様」とも呼ばれている)
(4)大村郷村記に「此処近村の勝地にて」(近くの村の景勝地)と言う記述があり、現代風に言うならこの周辺地域の観光地でもあった。
(5)大村郷村記には、「崖下に観音堂あり神体祭礼等の事は都て野岳郷より支配するなり」(滝の崖下に観音様があり野岳郷の方が祀っている)との記録がある。なお、現在も継承されている。
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鳴 滝
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(1)この滝と直接関係あるかないか不明だが、約400m離れた岩場に仏岩三社大明神(三体の内一体は九州最大級) の線刻石仏があり、一説には「鳴滝や山岳密教との関係もあるのでは」との話もある。
(2)滝の下流にいつの時代からか不明だが井手(用水路)を引き田畑に利用されている。そのため、取水口に水神様に関係あるかもしれない制作年代不明ながら古い神像一体がある。また、滝の崖の上側には1940年建立の鳴滝水神宮もある。
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山田の滝
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(1)滝の下流に取水口があり、いつの時代からか不明だが井手(用水路)を引き田畑に利用されている。
(2)滝壺近くの岩場に江戸時代、本経寺(住職の)八世・日迢上人が設置した七面大明神や碑文があり信仰や雨乞いに用いられた。また、さらに下流には題目淵があり、ここの岩場には先の日迢上人が彫らせた日蓮宗の題目などがある。
(3大村郷村記に「櫻花の欄慢、楓樹の紅葉する頃は、遠近の遊人群参して、詩を賦し歌を詠して美景を賞す」(桜の花が満開、楓の木が紅葉の頃は、あちらこちらから物見遊山の人が集まって詩を詠んだり、歌をうたったりして美景を鑑賞している)とあり、周辺地域の観光地でもあった。
(4)やや滝と距離があるが、山田権現や明治維新の三十七士の記念碑などもある。
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上表以外にも、まだまだ滝と関係ある事柄もありますが距離が離れていること、あるいは直接関係あるかどうか、やや不明なこともあり省略している事項もあります。いずれにしましても、大村三滝はどれも、記録や伝承が残るだけでも古くは古代から、また新しくても江戸時代から滝のある周辺地域の人々とも、宗教(信仰)、仕事(農業)、生活や観光などで密接な関わりあいを持っていたと言っても過言ではありません。
そのことは、現代でも目に見える形で例えば御手水の滝の経筒や観音様を始め、鳴滝の古い神像、山田の滝の七面大明神や題目淵など、宗教・信仰上で崇められてきたことでも良く分かることだと思います。このように古くから周辺の人々への影響もあったと推測されます。 次の項目は、滝そのものだけでなく周辺の渓谷美などの魅力についても書きます。
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鳴滝(なるたき)
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(5)滝自体だけでなく周辺の渓谷美も素晴らしいこと。
このシリーズ冒頭に全国で有名な滝をいくつかご紹介しました。これらは滝それ自体もいいのですが、川、岩場、巨石、奇岩、樹木、山並などを総合した渓谷美の素晴らしさも私は堪能してきたことがあります。大村では、御手水の滝(裏見の滝)と山田の滝の二滝については、滝自体を語られている書籍やホームページ類は多く見られるようです。しかし、私の調べでは先に述べた渓谷美も含めた記述は、そう多くないような気もします。
今回大村三滝の共通項の5番目として、滝だけではなく周辺の渓谷美などについて書きます。ただし、ここまで書いてきて、このようなことを申し上げるのはおかしいかもしれませんが、大村三滝はいずれも全国で著名な、あるいは観光客の方が年間で何十万人、何百万人といらっしゃるような「・・・渓谷」とか「・・・峡谷」みたいな大規模なものではありません。せいぜい各滝を中心に上・下流域含めて数百メートルの範囲内です。
あと、全国の例で渓谷や渓谷美を語る時に、その川や谷の名前で呼ばれている場合が多いようなので、大村三滝の渓谷ついても、そこの川の名前としました。なお、御手水の滝(裏見の滝)の川は大村郷村記には拂川(はらいがわ)と記述されていますが、現代はこの漢字はあまり使用されていないため地図などで使用中の「祓川(はらいがわ)」の文字を私も用いました。
また、山田の滝の川は、大上戸川(だいじょうごがわ)の上流域です。ただし、大村郷村記でも現代でも、この川は下流が大上戸川、中流域が本堂川(ほんどうがわ)、滝のある上流域が山田川(やまだがわ)と呼称されてきましたので、それに習い山田川の方を用いました。
大村三滝の各滝周辺にある小さな滝、川、岩場、巨岩、奇岩、樹木などを簡略に述べた表を作成しましたので、ご参照願います。(詳細は、リンク先の各滝紹介ページから、ご覧願います)
滝の名称
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大村三滝と関係する渓谷 (滝、川、岩場、巨岩、奇岩、樹木など含む)
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詳細
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御手水の滝
(通称「裏見の滝」)
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<祓川渓谷>
(1)この滝の左右にある長さ約約100m、高さ約30m〜40mの断崖絶壁の岩場は、それだけでも見ものといえる。
(2) この滝を中心として上流約100m、下流約100mの間の祓川(拂川、はらいがわ)には巨石、巨岩が多数ある。また、水量が多い時に出現する小さな滝も5滝ほどある。
(3)この滝周辺には、春=シャクナゲと桜、夏=新緑、秋冬=紅葉と、花ばかりではなく色々な季節の樹木も楽しめる。
(4)上記を総称すれば「祓川渓谷美」とも言える。
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鳴 滝
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<餅の浜川渓谷>
(1)この滝の左右にある長さ約50m、高さ約10m〜15mの岩場は、大きさ以上に迫力を感じる。
(2)この滝の左側にあと二滝、上流約30mの間に小さな滝が5滝ほど、下流約70mの間にも小さな滝がある。合計すれば大小10滝ほどある。
(3)滝の頭部(落水口)は、まるで自然の造形美のような岩肌、上流部のなだらかな川床 、下流部にある巨岩、さらには滝周辺の緑濃い樹木も見ものである。
(4)上記を総称すれば「餅の浜川渓谷美」とも言える。
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山田の滝
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<山田川渓谷>
(1)この滝周辺から下流側へ200m近く続く山田川(大上戸川の上流域の呼び名))両岸にある高さ約20m(約15m〜約25m)の岩場は、川中心に迫って来る感じする。
(2)この滝の上流側に一つの滝、下流側にさらに小さな滝が3滝ほどある。
(3)この滝の下流側約200mの間、巨岩、巨石、奇岩が沢山ある。また、上流側約100mの川床には、板状節理頭が見られる。
(4)この滝周辺には大村郷村記にも書いてあるが桜、楓(かえで)が沢山繁っていて、深山幽谷の表現通りである。
(5)上記を総称すれば「山田川渓谷美」とも言える。
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(仮称)半胴口の滝、
(鳴滝の上流部にある滝)
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先に述べた通り、各滝の流域規模は大きくありませんが、上表でもお分かりの通り大村三滝も単に滝本体だけではなく、その周辺の渓谷美もなかなかいいと思います。
御手水の滝(裏見の滝)周辺は、春のシャクナゲなど咲く時季約1カ月間に2万6千人(2008年実績)の観光客の方が見えられます。しかし、その後のシーズンは少ないような状況です。新緑を始めとする夏から秋冬にかけての樹木、何よりのあの巨大な断崖絶壁の迫力、専門の庭師さんも驚かれるような滝の上・下流域に沢山ある巨石・奇岩などを、もっと知っていたければ年間通して観光客の方に足運んでもらえるのではと個人的には思っています。
山田の滝周辺は、上・下流域の小さな5つほどの滝、まるで屏風のようにそそり立つ両岸の断崖、川床に横たわり苔むした巨岩・奇岩、いくつかの青々とした川の淵、緑深い樹林など全体併せた山田川渓谷美は、他に負けないものです。
鳴滝周辺は、滝の流域では最も規模が小さいと思われますが、その狭い地域に小さな滝が連続して見られる所でもあります。大村市のお隣である東彼杵町の千綿渓には48滝もある龍頭泉と言う本当に素晴らしい渓谷があります。あの規模には遠く及ばないものの餅の浜川渓谷は、「ミニミニ龍頭泉」みたいなおもむきもあろうかと言えます。
以上、上表の補足も含めて述べましたが、記述や写真も含めて渓谷美の紹介ページとしては不足も感じています。いずれ機会あれば、この大村三滝物語や大村の滝シリーズとは別に、渓谷について専門に紹介する、(大村市内全部で10か所ほどの)「大村の渓谷」シリーズ作成も考えてみたいと思っています。
次の項目は、「大村三滝を漢字二文字で表すならば」と言う内容です。
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