紹介シリーズ |
大村の経筒紹介シリーズ |
草場の経筒その3 |
概要紹介 ・名称:草場の経筒その3 ・発見場所:草場町の畑(如法寺跡から約100m北側) ・建立年代:平安時代後期頃 ・大きさ:高さ36cm、幅20cm、胴囲63cm ・現状:個人宅内で所蔵 ・滑石の産地:西彼杵半島と推測 この草場の経筒その3(右横の写真参照)は、草場の経筒その1、草場の経筒その2と同様に草場町にある如法寺跡近く(この寺院跡から約100m北側へ行った)畑から出土しました。(当初の)発見者は土地所有者の家族の方で、発見年は戦後間もない頃(1946年頃)と聞いています。 その畑からリヤカーで所有者宅横の小屋に運ばれました。後で、草場の経筒その1、草場の経筒その2の方は、汚れていたためか洗浄され、石の表面を磨かれたそうです。また、この2個(基)は、姿形が良かったためか、本宅の部屋で置物(もしくは花瓶)みたいにして大事に置かれていました。 今回紹介の草場の経筒その3は、上記のその1、その2とは、かなり違った経過がありました。上記の畑で運ばれた後、長年そのままの状態で、本宅横にある小屋に置いてありました。そして、2015年頃に小屋の新改築のため解体工事がありました。その時に作業者の方が所有者の方へ渡され、小屋と本宅間の通路に置かれたままでした。 2018年10月16日、上野が、草場の経筒その1、草場の経筒その2を見学に行ったところ、所有者の方から、「これも見て下さい」とのお話がありました。すると、通路に置かれたものが、今回紹介の草場の経筒その3であることを再発見しました。大きさは、高さ約36cm、幅約20cmです。この石材は、滑石で推測ながら大村の距離的位置から西彼杵半島産出のものと思われます。 次の日(10月17日)、大村市教育委員会の方にも調べて頂いたところ、草場の経筒その3について、次の「」内などの意見がありました。 「制作当時の状況が良く残っていて、保存状態の良い経筒と思われる」 「制作者の加工痕が、そのまま残っている経筒である」 「制作年代は(末法思想と関係ある)11〜12世紀頃(平安時代末期〜鎌倉時代初期)ではないだろうか」 「石鍋作りが流行した時期と重なるのではないか」 なお、形状だけで言えば、弥勒寺町にある「弥勒寺の経筒」とともに、草場の経筒その1、その2、その3は、大きさの大小は当然ありますが、似ています。そして、その建立年代も先の4個(基)とも、ほぼ同時期(平安時代末期)の経筒といえます。また、この4個(基)は、上野の考えながら、御手水の滝の経筒や箕島の経筒よりも、古いタイプ(造り、形状)ではないかと思えます。 この草場の経筒その3が造られた年代は、先に書きました通り、末法思想の流行した平安時代後期頃と推測されます。発見された畑周辺では、経塚(きょうづか)は見つかっていませんが、その上に乗っていたといわれている滑石製の平安仏(単体仏)は、「草場の単体仏(滑石製平安仏)」はじめ、やや距離はありますが、元々は同じ草場郷(町)だった 「東光寺の単体仏(滑石製平安仏)」もあります。 あと、ご参考までに当時の郷名(現・町名)は違いますが、旧・矢上郷(現・福重町)にある 「石走の単体仏その2(滑石製平安仏)」と 「石走の単体仏その2(滑石製平安仏)」は、発見場所から、そう遠くない(約350m)位置にあります。 (中間及び後半原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) (初回掲載日:2019年6月21日、第二次掲載日:10月18日、第三次掲載日:2021年9月12日、第四次掲載日:2022年6月15日) |