初塩売り(はつしおうり)
全国各地では、正月の2日から「初売り」、「初荷」、「初出荷」、「初入荷」などの言葉が、テレビ、ラジオ、新聞などでも登場してきます。つまり、「初売り」などは、商売をしておられる方々にとって、新年の「初仕事」でもありました。
そのような事柄と関係していたか、どうか今となっては詳細不明ですが、2日の早晩の暗い内に、大村では初塩売りがきていました。私が見た目で、その方々は、2〜3人連れの子どもや学生さんでした。年少は小学生から年長は中学・高校生だったと思います。なぜ、複数名だったかと言いますと、たぶんに夜間の安全上だからだったと推測しています。
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初塩のイメージ写真(塩の量は一掴み程度、各家でマチマチだったと推測)
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初塩売りは、道路や各家の庭先(玄関先)で、(大村弁で)「初塩はいらんねえ!」、「縁起ん良か、初塩は買わんねえ!」などと、やや大きな声を出して売り歩いていました。そして、玄関先で家人が出した皿に手で一掴み(大さじ1杯程度)の塩を入れて、お金をもらっていました。当時、私は子どもでしたから、父母がいくら払っていたか覚えていませんが、この行事は、ご祝儀(大村弁ならば”けんとうもん”=健闘物)なので、少量の塩にしては、かなり高いお金を払っていたと思います。
これが当時、初塩売りの子どもや学生たちにとって、けっこうな小遣い銭になっていたのは間違いないと推測しています。あと、私のかすかな記憶ながら塩といえば当時は日本専売公社でした。薄茶色に紺色文字で大きく”食塩”とか書かれた塩入の袋を風呂敷か何かに持っておられたと思います。現在みたいに、誰でも彼でもデイパックやザックなどは持っていない時代でしたから、数袋の塩といえでも、風呂敷に包んで歩きながら売っていればけっこう重かったのではと想像もしています。
あと、冒頭の「初売り」商売関係者だけでなく、農家関係も元旦にはお金は使わない習わしでしたから、この初塩売りが新年最初のお金利用だった方が、ほとんどだったと思います。初塩売りから購入した初塩は、当然のことながら本宅か台所の神棚にお供えしていたのは言うまでもありません。そして、縁起もいいということで、しばらくしてから料理にも使われていたことでしょう。
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