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大村の歳時記シリーズ 初詣で(はつもうで)
大神宮(今富町)での初網で (門松などあり。2018年1月1日撮影)

初詣で(はつもうで)
 まずは、初詣での言葉の意味からです。国語辞典のデジタル大辞泉によれば、「正月、その年初めて社寺に参詣すること。初参り 」と書いてあります。当然のことながら、多くの方が初詣で全国各地にある神社や権現(昔は神仏習合がほとんどだった)に、お参りされています。また、正月には、初詣で以外にも通常月では、ほとんどない例えば、門松、お年玉、おせち料理、雑煮、鬼火焚きなどを筆頭に、ほかにも初夢、初日の出、書初めなど「初・・・・・」なども多く、挨拶は「明けまして、おめでとうございます」でしょう。

松尾神社(まつのお じんじゃ) 草場町(2018年1月1日)

松尾神社、草場町の皆様(2018年1月1日)
大神宮鳥居周辺(今富町、2018年1月1日)
大神宮への初詣で(2018年1月1日)
大神宮本殿(灯籠が灯っている。2018年1月1日)
 
大神宮での成人式(2017年1月3日) 

 なぜ、このように日本人の多くが、正月を祝うのでしょうか? その分かりやすい答えが、「NHK for School 」サイトの『第15回 なぜ祝う? どう祝う? 日本の正月 』の動画で話されています。(この動画は全体で約9分30秒、しかも文字解説付ですから大変分かりやすい)このサイトによりますと、日本で正月を祝うルーツは、概要次の<>内と言われています。下記は、先のサイトから極一部を引用して書いています。

  (前略) 今から2000年以上前、米作りといっしょに日本にやってきた神様、「年神(としがみ)」。年神の「年」は、今と少し意味がちがい、「イネの実り」のことだった。年神は、毎年作物を育ててくれる神様。ふだんは田んぼや畑ではたらいている。そこで、正月は家にまねいてくつろいでもらう。するとその年も豊作(ほうさく)にしてくれるのだ。 (後略)

 つまり、 元々日本人は農耕民族で特に稲作を中心やってきましたが、その時の名残で、田畑を豊かにして下さる年神様を新年に自分の家に迎えることが正月行事のルーツのようです。神様を自宅にお迎えすることですから、綺麗にしておかないと来て下さらないので、年末には大掃除もしていると解説されています。

大村での初詣でについて
  念のため最初に書いておきますが、ここからは私の経験上のことが主です。ですから、大村市内での一般的な、共通的なことではないことをあらかじめ、ご了承願います。下記に、大村での初詣でだけでなく、正月におこなわれていたことも含めて書いていきます。なお、現在ならば私が見た目で、大村での初詣でや正月行事は、全国各地の状況と、ほととんど変わらないと思われます。

 ただ、私の子供の頃(今から50年以上も前)、実家は農家だったため、現在の状況とほんの少し違っていたこともありました。まず、年が明けると両親は(当時は今みたいな水道ではなかったので)井戸から新しい水を汲んでいました。これは当然飲料水用がほとんどだったと思っていますが、他の供物(塩、酒など)と一緒に本宅、台所、小屋などにあった神棚のどこかにもあげていたと思います。

 そして、家族内で新年の挨拶をして朝食を食べ、その後、町内にある権現様へ手を引かれ、初詣でした経験がありました。また、たいてい初詣でした後は、いくらかのお年玉をもらいました。先ほどの朝食含めて正月料理は、全国の料理と具材や味付けを除けば種類そのものは、そう大きくは変わらなかったと思っています。

 ただし、農家でしたから、例えば何段重ねもある重箱に高級食材をビッシリ詰めたおせち料理ではなく、同じ三が日の料理でも、もっと簡素な作り方で、子どもでも食べやすいものがほとんどでした。

 また、大人は三が日のいずれかの日に、公民館で町内の新年会(宴会)がありました。当然、その前には参加者一同、公民館に分祠してある権現様に向かって、全町民の今年一年の幸福と健勝を祈願していました。

  このように大村での初詣では、住んでいる近くの神社あるいは(地域の”守り神様”である)権現様へ、お参りに行くのが普通だったと思われます。ただし、大村市内でも大きくて有名な神社近くに住んでいる方ならば当然ですが、先の権現以外にも遠くの神社へも機会あれば出向いていた人も多かったでしょう。

 なお、ご参考までに、私の住んでいます大村市福重地区(10町内、福重小学校の校区、旧・福重村)の神社と権現について書きます。福重地区には、今富町の大神宮や草場町の松尾神社を始め各町内には最低でも1社、多い所では4社の神社や権現などがあります。10町内の合計では、20社位になるでしょう。

 先の大神宮松尾神社は、元々、村社<旧制度の社格の一。郷社(ごうしゃ)の下、無格社の上。多くは村の鎮守の社などが列格され、社掌(しゃしょう)が置かれていた。デジタル大辞泉より>でしたから、旧・福重村全体で改築や管理はされていました。(現在は、福重地区神社総代会が同様に管理)

 また、権現の方は、先にも述べた通り、その地域の”守り神様”ですから、その地元で建立されて長年守ってこられた歴史があります。そのため、愛着や信仰も大変強く、町内の方が初詣でに行かれるのも極普通のことと思われます。

 全体通して、あくまでも私の印象ですが、農家は年間通じで、なかなか休む機会がなくて(ハウス栽培や家畜を飼ってる農家ならばなおさらのこと)少しだけゆっくりできるのが、昔から正月三が日でした。このようなことや冒頭に書いた「毎年作物を育ててくれる年神様」の事柄などから、正月や初詣でについては、別の側面で今より厳粛、家族単位の静かな行事だったとの印象が残っています。

 あと、ご参考までに県外在住の成人者は、正月三が日を利用して帰省されていることも多いため、毎年3日に福重地区成人式大神宮にて開催されています。(2018年現在で第69回) この時、来賓、成人者、10町内会長、今富町(主に冷泉寺集落)、関係者など多くの方も式典出席前に、初詣でをされる方がほとんどです。

関係ページ:大神宮 、松尾神社 、福重地区成人式、 鬼火焚き

初回掲載日:2014年1月3日、第二次掲載日:2018年1月3日

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