大村の史跡説明板・案内板シリーズ | 古田山疱瘡所跡 |
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(写真1) 古田山疱瘡所跡の史跡説明板、中央部右側から標柱、史跡説明板、句碑か? | ||||||||||||||
・関係ページ:「長与専斎の旧宅」 「長与専斎先生の銅像」 | ||||||||||||||
<用語解説>・疱瘡(ほうそう)とは、痘瘡(とうそう)の異称である。痘瘡(とうそう)とは、「痘瘡ウイルスの感染によって起こる悪性の伝染病。高熱と全身に小水疱 (すいほう) とが出て死亡することが多く、治ってもあばたが残る。感染症予防法の1類感染症、検疫法の検疫感染症の一。WHO(世界保健機関)の種痘の励行によって1980年地球上から消滅。天然痘。疱瘡 (ほうそう) 。」(デジタル大辞泉の解説より) 史跡説明板写真周辺の説明 この項目、まずは下記看板が見えている4枚写真を参照願いたい。右列が大村市街地から市道で登った場合、最初に見えてくる看板(上部)と三叉路(下部)の写真。右列がさらに登った所にある看板と三叉路である。いずれも市道の脇に看板あるので分かりやすい。ただし、市道から入った小道は狭く、見学に行く場合なら軽自動車か、バイクが良いと思える。
そのバス停から約250m進むと、今度は左側に大村市上下水道局徳泉川内配水池(目測で直径20数メートルもある大きな水タンク)があり、そこから約50m先に上記左列の看板が見える三叉路がある。ここから左側方向が一つ目の入口で、あとはコンクリート舗装の小道を道なり進むと、約600mで目的地に着く。 二つの目入口は、先の入口よりさらに市道を約460m登ると、上記右列の看板のある三叉路があり、左側方向へのコンクリートとアスファルト舗装の小道を約250m走行すると案内標柱や史跡説明板が見えて来る。 現地の周囲は、中山間地ながら開けた土地で下流側へ、田畑が続き、近くには民家、小規模の溜池(ためいけ)もある。江戸時代頃の疱瘡所の敷地や建物などは、説明板に表示されている見取り図を参照願いたい。 史跡説明板の内容
また、原文は、そのまま生かしたいが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もある。そのようなことと、私の転記ミスもあるので、もしも、引用される方は、必ず実物の説明板からお願いしたい。 補足 |
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