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(写真2) 中央部:伊勢山の神社跡(グーグルアースより) |
史跡説明板写真周辺の説明
まず、伊勢山の神社跡の史跡説明板の設置場所についてです。上段の(写真1)の中央部やや右側に写っています(白色の)説明板は、このページ右側(写真2)の左側下部の国道34号線にある県営バス停「日焼」から北東方向へ(直線で)約250m近くの所にあります。
先に紹介中の、岸高城跡の史跡説明板からすれば間に市道・田畑・水路・農道などを挟んで、東方向へ約120m行った所です。
この伊勢山の神社跡の史跡説明板のある地点周辺は、旧参道入口横になります。(写真1)に写っている石垣の右端側が、その参道跡になります。
また、この神社跡周辺含めてでは、(写真2)のグーグルアース写真が、さらに、その場所は分かりやすいです。写真中央部の伊勢山の神社跡は、その東側上部方向にある伊勢山城跡から連なる尾根伝いの西側になる所です。その近く(下側)にある農道より5m弱登った所に平地があります。そこには、伊勢山の神社跡の記念碑が立っています。
伊勢山の神社跡の記念碑・神殿跡・境内など
この項目、まず(写真1)を参照願います。この写真中央やや下部に見えています白色の史跡説明板から数メートル右側が、伊勢山の神社跡に登る旧・参道入口(写真3の中央部)です。(写真3)右側の石垣最上部が鳥居の欠片(かけら、一部分)です。そして、鳥居の欠片下部で、石垣右端上部側に伊勢山大神宮跡の参道石垣碑文石があります。(この江戸時代建立の工事記念碑の詳細は、伊勢山大神宮跡の参道石垣碑文ページから参照願います)
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先の参道入口から約45m登ると、境内跡の端(入口)に着きます。そして、その地点周辺(写真4)から広がっている平地が、境内跡です。その奥側に、神殿跡の石垣跡(現在は石組が崩れている)があります。(写真4、5参照) この境内跡の広さは、神殿跡に向かって、奥行が約25m、横幅が約15mあります。
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(写真3) 中央部:旧・参道入口(石垣の右端上は碑文石) |
(写真4) 境内跡(中央奥側に神殿跡の石垣、その左に記念碑) |
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(写真5) 神殿の石垣跡と、左端は記念碑 |
(写真6) 神社跡(神殿の奥は左側で石垣が残っている) |
そして、(写真5)の中央部に写っているのが、神殿跡の石垣跡(石組)です。石組は、現在は崩れていますが、仮に元の状態ならば推測ながら3〜5段位、高さにして1m前後、入口横幅が約3m、全体の奥行は4mです。(まだ崩れが少ない最奥部=神殿真下の奥行が約1m40cm)あります。
あと、この神殿跡近くに永野氏が建立された「鈴田大神宮発祥の地」の記念碑があります。この記念碑の建立年は「平成10年か11年頃(1998年か1999年頃)」ということです。この記念碑の大きさは、高さが70cm、横幅16cm、胴囲が60cmです。 なお、この記念碑の詳細は、いずれ「大村の石塔、記念碑、石碑、碑文」シリーズで、詳細に掲載する予定です。
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