(史跡説明板)龍福寺跡(りゅうふくじ あと))
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名称:龍福寺跡 |
様式:説明板 |
場所:大村市立福寺町(通称「寺屋敷」) |
設置者:立福寺町内会、福重地区活性化委員会 |
設置年:2018年3月1日(平成30年3月1日) |
GPS実測値:32度57分38.91秒 129度57分31.81秒 |
全体の大きさ:高さ150cm、横幅70cm |
(国土地理院)地図検索用ページ |
本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm |
グーグルアース用数値:32°58'18.66"N,129°59'33.97"E |
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(写真1) 中央部:龍福寺跡の史跡説明板、手前右側の畑含めて奥の個人宅周辺は大昔から通称「寺屋敷」と呼ばれてきた |
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(写真2) 龍福寺跡周辺(グーグルアースより) |
史跡説明板写真周辺の説明
上記の(写真1)の中央部に白板のように写っていますのが、龍福寺跡の史跡説明板です。この写真の手前右側の畑含めて、奥側にある個人宅周辺広くが、大昔から通称ながら「寺屋敷」と呼ばれてきました。ただし、石垣に囲まれた家屋敷(敷地)だけでなく、この「寺屋敷」の範囲は、東西南北とも、もっと広いものです。
その中には、本堂、本坊、脇坊など直接、寺院との関係ある建物、あるいは龍福寺を守る七(六)社権現なども含めれば広い敷地も入っていた推測されます。 <右側のグーグルアースよりの(写真2)参照>
上野が従来からある伝承を参考にした推定距離ながら、「寺屋敷」(敷地)の距離は、最低でも東西150m強、南北50m強あったと思われます。傾斜部の土地や七(六)社権現の境内(敷地)も含めれば、もっと広かったとも思えます。先の個人宅から北へ約100mの所には、通称で「権現山(ごんげんやま)」と呼ばれている雑木林があります。
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(写真4) 石塔の一部 |
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(写真3) 墓碑 |
(写真5) 龍福寺の薩摩塔 |
この名前の由来は、先の「七社権現(ななしゃごんげん)」から来ています。その後、この権現は、いくつかの変遷を経て、さらには当初の場所(権現山周辺)も変わり、現在、六社権現として龍福寺跡の史跡説明板より東へ70m行った所にあります。つまり、この創建当初の「七社権現」位置まで「寺屋敷」に含めれば龍福寺全体の広さは、東西150m強、南北120m強にもなります。
墓碑や石塔類について
この龍福寺跡からは、例えば(写真3)に写っています「當寺中興」との碑文の彫られた墓碑、(写真4)のような石塔類の一部、さらには(写真5)の龍福寺の薩摩塔など、たくさんの墓碑や石塔類があります。
この寺の寺領(年間の石高)は、(大村)郷村記によれば、約33石でした。東光寺の約130石ほどではないにしても、龍福寺は、大村では豊かで大きい寺院の一つだった言えるでしょう。そのようなこともあり、先に紹介しました薩摩塔は中国との交易、さらには滑石製の石塔類は西彼杵半島産出とも思われます。このようなことから、古代の創建当時から天正2(1574)年のキリシタンによる他宗教弾圧攻撃(焼き討ち)に遭うまで、先のような様々な繋がりが盛んだったことも物語っています。
史跡説明板の内容
このページ最上部、(写真1)の中央部に白板のように写っています龍福寺跡の史跡説明板には、下記< >内の文章が書いてあります。(右下側の説明板の画像=PDFデータより加工を参照)
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龍福寺跡の史跡説明板(PDFデータより加工) |
原文は縦書きですが、ホームページ上、横書きに直しています。 また、見やすくするために改行、行間なども一部変えています。 なお、この史跡の詳細説明は、「福重の名所旧跡と地形」の『龍福寺跡』紹介ページから参照願います。
< 龍福寺跡
龍福寺の創建は不明である。ただし、「紫雲山延命寺縁起(しうんざんえんみょうじえんぎ)」によると久寿(きゅうじゅ)ニ年(一一五五)に郡地方の十四の寺院が集まって宗論(しゅうろん)がおこなわれた時、その中に龍福寺の名称があることから、遅くても平安時代後期以前に既にあったと推測されている。
寺の場所は、現在の富崎氏宅が昔から「寺屋敷」と呼ばれてきたので、この周辺が寺跡であろう。大村郷村記には、「寺名は今は郷所(町名)の名となり、その周辺の地名を龍福寺と言う。宗旨は禅宗にて寺領三十三石二斗四舛なり」と記述されている。
この龍福寺は戦国時代の天正ニ年(一五七四)にキリシタンの焼き討ちでなくなり、再建されることはなかった。
寺院跡には「當寺中興(とうてらちゅうこう)」との碑文のある石塔を始め、梵字の彫られた滑石など多数の石塔類の欠片(かけら)が現存している。
二〇一八年三月一日 立福寺町内会・福重地区活性化委員会 >
補足
(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)
・関係ページ:「福重の名所旧跡と地形」の『龍福寺跡(りゅうふくじあと)』 、 『六社権現』
(初回掲載日:2018年4月28日、第2次掲載日:5月11日、第3次掲載日:5月12日、第4次掲載日:5月13日、第6次掲載日: 月 日、第7次掲載日:
月 日)
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